特別機動捜査隊と鉄道公安36号 | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

1960年代前半に『七人の刑事』と人気を二分した刑事ドラマに『特別機動捜査隊』があります。NET(現:テレビ朝日)系列で、1961年10月11日から77年3月30日まで、長きにわたって放送。『七人の刑事』はスタジオドラマだったので、取調室とか殺人現場とか、ひとつの場所でのシーンがどうしても多くなり、重厚感はあっても全体的に動きが乏しく、スピード感に欠けていました。それに対して東映テレビ映画製作の『特別機動捜査隊』は、フィルム撮影の特長であるロケをふんだんに活かしたスピーディーな展開で視聴者を魅了。

オープニングは軽快なテーマ曲をバックに市街地を疾走する二台のパトカー。それまで見慣れた白と黒のパトカーでなく、赤い警笛ランプを付けただけの黒いパトカーは新鮮でした。番組スポンサーが日産自動車だったので、パトカーはもちろん同社のセドリック。モデルチェンジするたびにパトカーもそれに合わせて新しくなりましたね。刑事たちの服装もパトカーで移動するので、レインコートなどは着用せず、『七人の刑事』と比べると、どこか垢ぬけていましたな。

当時全盛を誇っていた海外ドラマに対抗するために『ハイウェイ・パトロール』を参考に企画・制作。最初は波島進が率いる立石班一斑体制でしたが、64年から中山昭二が率いる藤島班が加わり二班体制になります。その後、青木義朗の三船班、里見浩太朗の高倉班、亀石征一郎の矢崎班、葉山良二の日高班が誕生。出演俳優はのべ3万人、殺された人間はのべ900人、犯人はのべ800人で、売れる前の西田敏行もチョイ役で出演したことがあるとのこと。私が観ていたのは、立石・藤島の二班体制の頃までです。俳優が足りなかったのか、両班をかけもちする刑事もいましたね。波島進は、“少年探偵団”の明智小五郎や“七色仮面”で馴染み深くて、彼が出演しているだけで観ていたようなもの。ちなみに波島進は、このドラマを最後に、芸能界を引退しています。

『特別機動捜査隊』と同じように、NET(現:テレビ朝日)系列で放送された東映テレビ映画作品に『鉄道公安36号』というのがあります。最初は『J・N・R公安36号』という題名で1962年6月7日から始まり、63年6月からタイトルを『鉄道公安36号』と変えて67年4月2日まで放送されました。

国鉄(現:JR)を舞台に、北村主任(影山泉)率いる鉄道公安官が全国を股にかけて活躍。国鉄が全面的に協力し、列車ロケはもとより、全国各地のロケによる観光案内的な雰囲気もありましたな。乗ってみたいと思う特急列車が頻繁に登場し、サスペンス以上に楽しめたんですよ。現在のように誰もが旅行を楽しめる時代じゃなかったですからねェ。

主演の影山泉は、テレビ創生期には主演やレギュラー出演が多かったのですが、このドラマの後は見かけなくなりました。画像は、早川公安官役の千葉真一と影山泉。