チャンピオン太(実写) | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

フジテレビ系列で1962年11月5日~63年4月8日まで放送されたプロレス実写ドラマです。

大東太という少年レスラーが主人公ですが、記念すべき第1回は、力道山と死神酋長(アントニオ猪木)の対決。タイトル画面は、力道山が豊登と組んで、スカル・マーフィー&ブルート・バーナード組と闘っている映像。力道山の知名度にオンブした番組作りがミエミエで、主題歌も力道山の名前しかでてきません。クレジットには猪木寛至の名はなく、死神酋長とあります。

撮影状況を梶原一騎が回想。

しゃくれ顎の顔を毒々しくペイントされ、派手な羽飾りをかぶせられた猪木と撮影当日に初対面した。しかし、そんな珍なる装いにも関わらず、この若者には身辺に漂う「赤と黒」の主人公ジュリアン・ソレル的な雰囲気があった。野心にキラつく美しい目をしていた。それと、一抹の危険な匂い……

「殺陣? そんなもんレスラーにゃ無用!」

リキさんは殺陣師を拒絶し吼えた。

「本気でガンガンやりゃあええ。寛至よ、いつも張り倒されている仕返しのチャンスだぜえ。セメントで来い!」

いともバカ正直(?)に若者は反応した。原作の筋書きどおり、序盤は反則の嵐に耐えるヒトを演ずる力道山をば、猪木扮する死神酋長は遠慮会釈なくブン殴り蹴りまくり締め上げた。肉と骨のきしむ物凄い音響。スタッフはビビリ青ざめ、誰かが呻いた。

「実戦より凄えや、コレ……」

然り、あきらかに私の目にも凡百の実戦を超える瞬間が訪れた。これも筋書きどおり力道山が伝家の宝刀・空手チョップで反撃に転じた瞬間、その瞬間である。若き猪木は筋書きどおりにはカンタンに吹っ飛ばされなかったのだ。力道山のセメント・チョップを踏みこらえ、セメント・ナックルで応酬する凝縮された白熱、殺気を見た。力道山も感応し、狂暴になった。不遜な若者はブッ倒され、くるおしく踏みにじられ、さらには引き起こされて、チョップの比でない本当の力道山の殺し道具ヘッドバットまでブチかまされた。

悲鳴を発し、女性スプリクターが両手で顔を覆い、男性スタッフ全員は凍りついた。彼らはドラマどころでない日本プロレス史の劇的瞬間に立ち合った。すなわち、力道山・猪木のセメントマッチである。(梶原一輝の回想録より)

猪木は目いっぱい頑張って力道山にぶつかっていましたね。しかし、実力の差はいかんともしがたくで、力道山にコテンパン。力道山は死神酋長が気に入ったらしく、猪木のリングネームとして本気で使わせようとしたみたいですが、猪木が頑強に拒否。そんなもん受け入れていたら後年の猪木はなかったでしょう。

アントニオ猪木は、第4回のエピソードでも出演しています。この時は謎の悪役覆面レスラーのストライプ・スネーク。猪木寛至と、ちゃんとクレジットされていましたよ。

ストライプ・スネークは凶暴な(わけもわからず暴れ回って電柱をヘシ折る)レスラーで、対戦の決まった太はスペシャル・トレーニングをします。太いロープを身体にまきつけて、ロープの両端を引っ張ってもらうというもの。ストライプ・スネークの得意の絞め技に耐える訓練なんですが、肝心の試合では、そんなシーンはなし。何のための訓練だ。吉村道明が太のスパーリング相手をつとめているのですが、ちょっと体格の良い少年なだけで筋肉もついておらず、ケガをさせないように恐る恐るやっていたのには笑ってしまいました。実写版『鉄腕アトム』や『鉄人28号』と並ぶ、実写版トホホ・ヒーローで~す。