この10年間を振り返ってみて 前編 | 男性エステティシャン 野勢貴博

男性エステティシャン 野勢貴博

▪️30歳 / エステティシャン
▪️中目黒 / 完全予約制プライベートサロン経営
▪️「salon de Muse(サロン・ド・ミューズ)」代表
▪️中目黒初男性エステティシャン
▪️元美容師 / 美容師免許習得者

皆様こんにちは。

salon de Muse 野勢です。

 

いかがお過ごしでしょうか。

もうすっかり暖かくなり、春の陽気ですね。

久しぶりの投稿ですが、丁度今年で社会人になってから10年経ちました。

そのため、自分の過去の振り返りと反省、戒めとしてこの10年間を振り返ってみようかと思いブログを書いてみました。

長いので、お付き合い頂ければと思います。

 

 

 

〜10年間を振り返って〜

 

 

丁度10年前、まだ世間が東日本大地震で混乱の中、僕は入社式を迎えていました。

 

 

初めての社会人、初めての仕事、そして新しい人生のスタート。

 

 

会社、というか美容室に勤務だったので美容室での入社式。

今でも当時の入社式で社長が、東日本大地震で犠牲になった方のことを思い浮かべて泣きながら話していたのが印象的な入社式でした。

 

 

緊張と不安、美容師になる自分への期待。そして東日本大地震。入社式中に、自分の中に色々な感情があったのを鮮明に覚えています。

 

 

それから、すぐにその美容室を辞めてしまい、2社目の東戸塚にある美容室も辞め、ここまで来ると美容師に自分が向いてないと思い、本格的に美容師を辞めるための就活をしていたのが、丁度入社式の1年後でした。

 

 

その時に僕は運命的な出会いをして、結局また美容師の世界へと戻ります。

 

 

その時にお世話になった会社(3社目の美容室)の上司の方の指導によって、僕は初めて社会人としての、人間としての生き方を学びました。

今の自分の価値観や仕事に対する考え方、働き方、さらには立居振る舞い、生活にまで影響を与えるほどの衝撃でした。

もちろん美容師としての、技量もその方からの影響が強かったのを覚えております。

本当にその当時は、その上司の方のおかげで人間としてしっかりとしていたと思う。

 

 

しかしその後、僕の人生は大きなうねりへと入っていきます。

 

 

25歳に軽度の鬱病、適応障害と診断されてから、病気を理由に本当に沢山の方々に迷惑をかけて生きてきました。

何度も仕事を変え(辞め)、与えてくれたチャンスを尽く踏み潰し、裏切り、逃げて自分本意の考え方で生きていました。

その結果、今では恥ずかしいくらい短い職歴の数と、3社目の美容室でのしっかりしていた自分がまるで別人かのように自分自身が変わってしまいました。

 

 

もう自分は手遅れだと思いました。

20代半ばにもなって、俺は何やってるんだ。」

 

 

周りの同級生や、後輩が着々と夢や目標、さらには社会人として頑張っている中、自分は家で引きこもり、せっかくの仕事やバイトも続かず、本当に人生の地の底にいる気がしました。

本当に負の連鎖です。

 

 

それでもお金のために働こうとします。

そして201727歳の頃、転職活動の結果、横浜にあるウィッグの専門サロンに就職出来ました。

そして、そこで出会ったお客様により僕の人生が大きく変わるのでした。

 

 

 

後編へ続く、、、