- 草の冠 星の冠/イメージ・アルバム
- ¥3,000
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BLCD「草の冠 星の冠」を聴きました。
2010年7月22日発売 原作:テクノサマタ
出演 森川智之 梶裕貴 鈴木達央 小田久史 吉野裕行
野島裕史 水島大宙 他
まだ春は遠い冬のある日、桜は春に「早く咲いて咲かせてくれ」と頼む。桜のある家には、片腕を大事そうに抱えた1人の少年がいて・・・。季節と花と、幽霊の織りなす感動のお話
雪も降りまだしばらく冬は続きそうですが、立春も過ぎましたので今日は春に聴きたい作品をご紹介致します。
※筆者が作品を聴いて受けた印象をそのまま感想にしています。
その為読者様の印象を壊しかねません。
軽く読み流すくらいを推奨します。
~桜幽霊~
仁王(CV.森川智之)
金持ちでけちだと噂されている。病気で寝込んでいる。
澪(CV.梶裕貴)
片腕を大事に抱えた少年の幽霊。仁王の家に住みついている。
春(CV.小田久史)
少し早めに街へついた春の季節
冬(CV.吉野裕行)
仁王の住む街の冬の季節
さくら(CV.鈴木達央)
仁王の家の庭に生えている桜の木。早く咲きたいと春に頼む
桜色(さくらいろ)
薄桜(うすざくら)
鴇色(ときいろ)
桃色(ももいろ)
桃花色(ももはないろ)
一枚一枚僅かに色を変えて降る花弁
煎茶色(せんちゃいろ)
光射す縁台
焦茶(こげちゃ)
冬の冷たさにさらされた家屋
憲法黒茶(けんぽうくろちゃ)
淋しい冬枝
桜の木の下には死 体が埋まっており、その養分を吸って花は美しく咲く、などと言いますが、この作品は死 体も埋まっていなければ枝葉の下ではあるものの幹の下でもなく、それでもさくらを綺麗に咲かせる役割を魂は季節たちと担っていたのかと聴きながら全くとりとめのない想像を膨らませておりました。
それを許される空気が漂っておりましたから。
庭に植わった一本のさくらは、まるで日本一と称される山梨の神代桜のような、沢山の花をつけて、風が吹けば一度にその色がこちらになだれ込んで桜吹雪に視界を覆われてしまうのではないかと錯覚するほどでありました。
それはもう、鮮やかに。鮮やかに。
少年の幽霊は仁王が戦争で失った腕を胸に抱いて、日々仁王の余生をあやすように見守り続けております。
仁王の生命は尽きかけている為、春が来る前にさくらを見せたいと思っております。その様子を見て“春”は人情に訴えかけられる性格らしく願いを叶えてあげたいと思うものの、“冬”は例外無く冬はまっとうされるべきだと考えているようです。
優しさ溢れるうららかな“春”。自力では花を咲かせることができないが柔く、咲きたいと願い続ける“さくら”。霞がかりただ陽光のように澪に降り続ける暖色たちとは違い、“冬”は厳しくぶっきらぼうな言葉でいつも通りに季節を進ませようとします。
しかし、これは一つの、抑止力という憎まれ役を買ってでているようにも見受けられるのです。ただそぐわないことを許容するだけでは、味気ないまま喉を通り過ぎていってしまったでしょう。
戦中戦後の仁王と澪の暮らしぶりが語られ、冬の気持ちが少しずつ変わっていくので丁度良いのです。
作品自体は16分程度と短いのですが、病にかかった澪の吐血シーンは血が寝床いっぱいに飛散して染みを作っていくのをまざまざと見せつけられた気分で、とても強烈であり悲痛でした。
このシーンの梶さんのお芝居は真に迫るものがあったと思います。
せっかく森川さんがご出演されているのに、出番が極端に少ないと思った方もいらっしゃるでしょう。
どちらかと言えば、仁王と澪の残された時間内でのふれあいではなく、第三者の“春”・“さくら”、そして“冬”がなんとか期限が来る前にもう一度だけ二者を引き合わせようとする、しかし季節とは・・・と考える。その葛藤に割かれていて、そちらが主体という立場を取っているようにも見受けられます。
ただ、やはりこの作品の真の主役は仁王と澪なのです。
これを恋愛と呼ぶことができるのかどうかはわかりません。私は、愛とか恋とかよりも、もっと深く永遠に切れることのない絆で結ばれた関係であり、なんて幸せなことだろう、と心が満たされていきました。
言葉を交わす場面はほとんどありませんが、まるで仁王までが病気にかかってしまうのではないかと案じるほどの、一番大切な澪への心配の仕方。そして、戦死した仲間の霊にもう連れていかれないよう、仁王を傷つけない為に、ただたださくらの木の下で支え続ける澪。
肉体は触れ合わなくて良いのです。
素晴らしいお話です。
~不断梅花~
小説家(CV.野島裕史)
転々と移り住む小説書き。街に引っ越してきた
梅(CV.水島大宙)
屋根が取り払われた古い家に生える梅
枯茶(からちゃ)
黒茶(くろちゃ)
銀煤竹(ぎんすすだけ)
山々はすっかり冬枯れ冬衣
紺碧(こんぺき)
雲ひとつない晴天の冬空
白梅鼠(しらうめねず)
吸いこむ度に肺を透かす空気
白藍(しらあい)
手が凍りそうな冷たい川の水
卯の花色(うのはないろ)
日を反射して目を差す雪
残りは~灯春小景~の一部を除いて全てこちらのお話に費やされております。
聴き始めてしばらくはどのような状況でどのような立場に彼らが置かれているのかわからず、尻尾を掴みにくい作品だと思っておりました。
~桜幽霊~の方は“春”・“さくら”・“冬”、と、季節が初めから擬人化されて登場した為すぐに掴めたのですが、こちらはそうではありません。
小説家が冬の間の仮住まいに越してきて、その家に植わっている梅と少しずつ心を通わせていくお話です。
裕史さんが小説家を演じるというのは、私はとてもとても合っていると思いました。
浮世離れしている、と一言で表せばそうなります。
ですから、彼が梅の姿を見つけ声を掛けても、道ですれ違った“秋”と近所の人間と話すように立ち話をしても、おかしいと思わないのです。
その代わりますます小説家の存在は謎に包まれていき、幻想のような世界は自然と受け入れられるのに、誰とも交わらない位置に在しているような錯覚を起こさせます。
また、小説家が梅に徐々に近づいていく過程で、敵ではないと示す為に、まずは肥料を買ってきてきちんと挨拶をすることにします。
梅からはなかなか来てくれませんが、そうやって小説家は少しずつ歩み寄っていきます。
小説家の心は一般的な男性の思考を持ちながらもとらえるのはむつかしく、それなのに少しずつ柔らかく変化していき、まるで雪が溶けていく過程を眺めているようでした。これがまた不思議な感覚。
「~でなかったのに」「そんな自分が嫌いでなかったはずなのだ」と過去の自分と比較して現在の自分が柔らかくなったことを認める姿は、硝子の器から覗く小さな水面に映る自身を遠い目をして見つめながらも、変わっていくという新たな発見を嫌がってはおらず、寧ろ以前よりも少し人としての人らしさにはっとし、噛みしめているように見えもするのです。それが梅によるものだと気付いているようなので、尚更。
浮世を離れながらも、彼の中の体温は徐々に春へ向かうかのようなあたたかさを持つようになっていきます。
同時に、ある後悔も聞こえてきます。どんな後悔なのかはお聴きいただければおわかりになるでしょう。
上手く書けないのですが、これらひとつひとつをぜひ裕史さんの語りでじっくりお聴きいただきたいです。
梅は登場から人間に敵意を向けている為新たに住み始めた小説家を追い出そうとします。それは大切な思い出をたくさん胸に抱いて成長し続けてきた彼が今後も梅として生き続ける為の理にかなった行動です。
闇討ちのようなことをするのですが、存在を察した小説家にあっけなく捕まってしまいます。
私がまず素晴らしいと思ったのは、この際に、感情を言葉で簡単に発してしまうのではなく「ぁ」や「ぅ」や「……」という発し方で怯えと敵意と逃げようともがく全てを水島さんが表現していらっしゃったことです。
小説家が友好的であると理解していくと、育ててくれたおじいさんとおばあさんの想いも口にするようになり、そして・・・
ある日至極自然に小説家は梅にくちづけます。
この時の梅は本当に可愛らしいのです。くちづけの前後での変化がとても純粋で、紅潮した顔や慌てて彷徨わせる視線や、目元が浮かんできます。微笑ましいです。
水島さんの一秒毎に表情を変化させる自然な流れのお芝居に胸がきゅんとしました。
先程の小説家の心境の変化と照らし合わせると、幾重にも重なる心と心の行き着いた先の形であると、私の中にすんなり降りてきて丸く綺麗に収まり、ますます安寧をもたらしました。
「ほら」
「え?」
「咲いたみたいでしょ。胸に。赤い梅の花」
前述の場面とは別の場面で、ちゅっとして照れる梅を前にしてこんな科白があります。
この時点で小説家は自身の心境の変化をすっかり受け入れており、離れがたき梅を真っ直ぐに見つめてこう述べました。
ここだけ読むとちょっと気障に思えてしまうでしょう。しかし、全てを聴いていると全くそんなことはなく、押しつけがましさを感じることもありません。
小説家が咲かせ、当然の如く当ててみせた梅のきもちも、もうじきに息吹く新しい季節への予感も、すべてがこの一言に集約されていると私は感じました。
和の香り漂い、まるで詩のような素敵なお話が展開していきます。
梅が小説家に牙を向けて吠える時には、今作に相応しいのか如何ともしがたい厳しい言葉も飛び出します。「げす」と。
あくまで私の感覚ですが、この「げす」とは片仮名で表されるべきではなく「下 衆!」と直撃していたような気がします。罵りの言葉であっても、うらぶれた路地でいかれてしまった人間たちが口汚く済ませる為のものではなく、自己と思い出を防衛する術としてこれ以上強烈なものはないと、振り絞って口にした言葉であったと思うのです。
作品の雰囲気も含め言葉に衝撃を受けつつも、綺麗さが失われることはなく魅力は増していったように思います。
絡みの無い作品は、代わりに多くが情緒的であったり、一度のくちづけが大変艶めかしく聞こえたりします。
すっごくいやらしかった~!などでは片付けられない雰囲気を持っているように思います。
この作品でなくても構いませんので、時には心静かにこのような作品に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。
きっと別の満足感を得られるでしょう。
どちらの作品も、最後には
若草色(わかくさいろ)
を待ちわびて。
以下蛇足。
どうしても『和』の色をお伝えしたかったのです。
そこで、色を書き連ねました。
また、作品の雰囲気に則って、外来語や片仮名語を全く使わず書いてみました。
意外と大変で、ところどころ何のことを書いているのかおわかりいただけなかったかもしれません。
読みにくい部分もあったことと思います。失礼致しました<(_ _)>