2012年9月23日の東京新聞コラム『家族のこと話そう』にピアニスト崔善愛(チェ・ソンエ)氏の記事が載った。
タイトルは『在日牧師の父 差別と闘う』
一部引用してみよう。

引用始め
「父は1093年朝鮮半島で生まれました。(略)その後朝鮮戦争が起き。キリスト教徒である父は『徴兵されて武器を持ちたくない』との思いで日本に来ました。
父は北九州では有名人。自分の名前を日本語読みしたNHKを相手に損害賠償1円の裁判を起こしたり」
「私は韓国籍で、指紋押なつを拒否したため、26歳で米国に留学した際、法務局から再入国不許可処分を受け、永住権を失いました(2000年に永住権を回復)」
引用終わり


九州のほうで在日韓国人親子が指紋押捺を拒否したことは私が高校生のときに聞いた事があった。記事には父親の名前はなかったが、おそらく崔昌華(チォエチャンホァ)牧師のことだろう。親子ともども指紋押捺を拒否した。
たしか現代書館のフォービギナーズシリーズに取り上げられていた。
勿論指紋押捺には否定的な取り上げられ方だった。
「アパルトヘイトよりひどい」と。

高校生の私は
「強制連行で連れてきた元奴隷の人たちやその子孫に指紋押捺を強要するなど、アパルトヘイト以下だ。日本はとんだ人権後進国だ」
との感想を持った。

でも東京新聞だと違うこと言っている。

崔昌華(チォエチャンホァ)牧師は強制連行じゃない。牧師の主義信条のためにいわば日本に亡命しにきただけ。
日本が韓国に侵攻して、現地の人々の指紋を取ったり、強制的に首に縄をつけるようにつれてきた外国人から指紋を取れば、それはアパルトヘイト並みだろう。でも崔牧師はそうじゃない。もっと言わせて貰えば、日本が彼を受け入れてあげたから、彼は戦争で人を殺めずにすんだのに。その「恩人」たる亡命先の政策によく意見言えるよね・・・・。
こんな嫌な「人権後進国」じゃなくって、アメリカとかカナダとか移民にやさしい国に行けばいいものを。

なお私自身も外国で指紋を取られてことがある。2007年頃インドのコルカタ(カルカッタ)に行く際、乗り継ぎで立ち寄ったバンコクの空港でだ。コルカタ便まで時間があったのでバンコク市内で観光し、再び空港に入る際人差し指の指紋をスキャンされ、顔写真も撮られた。
人権後進国だな~とは思った。でも外国人で、タイに来たくて来ている私にはタイ政府の方針に従うしかない。それに、私が指紋を提供してテロが防げるならば喜んで協力しよう。

余談になるが、タイの少数民族の家族が日本でホームスティをするテレビ番組があった。彼らのパスポートには顔写真の下に指紋が。タイのパスポートはみんな指紋つきなのか、それとも彼らが少数民族だからか。

イスラエルのベングリオン空港では出国時に別室での荷物検査を受けた。私のパスポートにはパキスタンのスタンプが押してあり3週間の滞在歴が残っていた。
「パキスタンには何しに行ったんだ」
「どこに泊まったんだ。ホテルの名前を言ってみろ」
矢継ぎ早の質問についに私は吐いた。
「パキスタンにはいとこがいて、いとこの家に泊まった・・・・・」
「いとこの仕事は?」
「家で子どもを育てている」
「結婚しているのか?誰とだ?」
「・・・・パキスタン人とです」
出入国審査官同士が顔を見合わせる。私は別室に連れ込まれ、男性審査官から濡れたビキニのパットの中まで調べられた。スプレー缶は没収された。
(しかし後で男友達から、その審査は性的ないやがらせじゃないかと指摘を受けた。女性審査官を呼んでもらえば良かった)

テロを防ぐためにはここまでやるか・・・・。当時私は二十代。アドベンチャーを楽しみに来たお転婆外国人にしか見えないのに。
でもある程度は仕方が無い。だってかつて若い日本人がこの空港で機関銃をぶっ放し、26人も殺したのだから。こんな悪いことをする奴は日本赤軍において他にない。当時(1972年)の赤軍には若い女性も名を連ねていた。それどころか日本赤軍の最高指導者は重信房子、27歳の女性だった。
若い日本人女性でさえテロリスト扱いをされるわけではない。
若い日本人女性だからテロリスト扱いをされるのだ。

関係ないかもしれないけれど、日本の外国人指紋押捺に反対する人の多くはイスラエルが嫌いだったりする。

なお何かと評判が悪い指紋押捺制度については鄭大均(ていたいきん)氏の『姜尚中(カンサンジュン)を批判する』(飛鳥新書)でその必要性が説明されている。

「そもそも1955年に指紋押捺制度が採用されたのは、朝鮮人による外国人登録証明書の不正受給や偽造変造が頻発し、密航者のための登録証偽造や、実在しない人間の登録証を役所に作らせてそれを売ったり、そうした幽霊人口によって得た配給食糧をヤミ市場に流すなどという不正が横行していたからである」

「戦後の早い時期、長崎県対馬に登録証の製造工場があり、北朝鮮で偽造された登録証の例もある」


「敗戦直後、故郷に帰還した朝鮮人の中に密航で日本に舞い戻った者がおり、朝鮮戦争時には韓国から難民の手続きなしで入国した例があり、また北朝鮮からは工作員が入国している。偽造登録証を必要とする人間がいるのである」

また鄭氏は同書で佐藤勝巳氏(現在コリア研究所所長)の著述を引用して、制度の説明を補足している。

「韓国とは異なり日本には工作員やその協力者を直接取締る法律は存在しない。北朝鮮からの工作員などの動きに、かろうじて間接的に対処できる法律は『出入国管理及び難民認定法』と『外国人登録法』なかんずく指紋押捺制度なのである」(『在日韓国・朝鮮人に問う』亜紀書房、1991年)

そういえば、カナダのコモックス島ではパトカーに追いかけられたこともある。2000年ごろの話だ。
この島には語学学校がある。当時私は留学を考えていた。離島まで行けばクラスメートに日本人はいないだろうと思い、バンクーバーに社員旅行に来たついでに語学学校に見学に行ったのだ。
実際は20人程度の学生がいて、一人を除いて全員日本人だった。日本人、スゴイネー。
日帰りで見学を終え、早めに空港に送ってもらった。バンクーバー行きの便まで時間があったので空港周辺をうろうろ。
背後からパトカーが音もなく近づいてきて、私の行く手を塞ぐように止まった。
中から白人の警官が降りてきて
「何をしている?」
「飛行機の時間までまだあるから絵葉書でも買おうと思ってね。パスポート見る?」
私は首からぶら下げたパスポートを襟口から引き上げようとすると警官は首を横に振った。
「早く空港に戻りなさい」
「でも私、絵葉書が欲しいんだけど」
「駄目。早く行きなさい」
逆らったらパトカーにぶち込まれそうな雰囲気だったので、仕方なく空港に戻った。コモックス島は大きな軍港がある。

空港では乗客とセキュリティーが揉めている。綺麗に包装紙で包まれた箱を開けろとセキュリティー。乗客はプレゼントなのにとごねていたが、結局包みを開けた。

バンクーバー行きのプロペラ機は定員30名程度。背の高い女性職員が客にスナックを配っている。彼女は配り終えると運転席に着いた。パイロット兼客室乗務員だった。客室と運転席を仕切るものは何もない。ハイジャックされないのかね・・・・。

帰国後、カナダ人にコモックスでの出来事を話してみた。
「警察は君の事を中国人だと思ったんじゃないのかな。中国人のボートピープルがコモックスに押し寄せて大変だった」

どの国も自国を守るのに一所懸命だ。

なお、外国人への指紋押捺制度は1993年1月に廃止された。

崔善愛(チェ・ソンエ)氏の永住権は剥奪されたが、日本に入国できなくなったわけではなく、一般の外国人として1年に1度づつ申請すれば在留資格を延長できる。http://kankokukankei.jugem.jp/?eid=18&guid=ON&view=mobile&tid=3(韓国関係資料室より)
さらに、氏は日本人であるチェリストの三宅進氏と結婚していたので、配偶者資格で在留資格を取れるはずなのだけど・・・・。






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