小田原旅行2日目
朝から衝撃を受けたのが、話には聞いていましたが、食パンの厚みです。
私は、4枚切りが好きなんですが、外をカリっと焼き、中がモチッ、ふわっとしているのがたまりません。
ホテルの朝食に食パンがあったのですが、
4枚切りの半分!!
「えーっつ、この薄さって殆どサンドイッチやん!!」
と思いながら、食べていました。
そして、私達の隣室だった中学生の男の子が部屋の扉の前で、
「がち、あかない!!」
と標準語を喋っているのを聞いて、ここは関東なんだから、当たり前ですが、中学生が大人びて思いました。
こっちなら
「このドア、あかへんやんか!!」
とドアにどえらい怒っています。
私は方言を使っていないと思っていましたが、関西弁って立派な方言だったんですね
台風は温帯低気圧に変わったというものの、西の方からの低気圧があったので、空は曇り空
みさっぺさんがホテルに迎えに来てくださって、
小田原を一日案内してくださることになりました。
まず、始めに
勝福寺です。
みさっぺさんから頂いたお手紙には
古く奈良時代から、奈良の弓削道鏡が、下野の国に行く途中に観音を持って小田原に立ち寄ったそうです。
その観音様が鑑真が持ち帰ったものだとか
お寺の境内の銀杏の木は樹齢1000年をこえているんですよ
「なんか、くさいなあ」
と言っていたら、銀杏が一面に落ちていました。
あとこのお寺には、日本三大仇討ちの鎌倉時代の、曽我兄弟が父の仇のため、毎日お参りをしていたそうです。
目をやると、土俵らしきものがありました。
江戸時代の相撲取り 雷電も、不良力士相手に仇討ち相撲をした場所だといわれています。
(説明文を読んでいるときはなるほどなぁ、そうかそうかと思っているのに、忘れてしまっています。)
そして
この銅像の方どなたかわかりますか?
日本全国の小学校には必ずあるといわれている
かの有名な
二宮金次郎さんです。
二宮金次郎さんて、柴を背負い、本を読む姿が有名ですよね
この金次郎さんは18歳くらいの姿です。
幼い頃裕福だった、二宮家は、破綻してしまい、あっというまに、貧しくなり、それがもとで、父、母をあいついで亡くし、2人の弟も親戚に預けられ、それでも若いのに、志は大人以上、伯父の家に預けられたり、村の名主に奉公にいったり、それでも行く先々で、彼は働き者であることと、頭の良さと、行動力で、活躍するのですが、あるとき、立ち寄った勝福寺の観音様にお参りをし、
お堂のもとで座ってお祈りをしていたら、読経が聞こえてきて、心にしみる、声に感動し、一瞬悟りを得たような気持ちになり、それが観音経だったと知り、
地元のお寺のお坊さんに感動した観音経の話をすると
「わしは60歳を超えてもわからんのに、あんたは、一回聞いただけでわかったんかいな。よかったら、この寺の住職になってください」
という話があるそうです。
今回で旅行の話を結びとしようと思ったのですが、
この後に、行った
二宮金次郎さんの事がわかる、尊徳記念館の話が長くなりそうなので
今日はこのへんにします
またどうか
おつきあいください


