先月、

ピアニストのフジコ・ヘミングさんが亡くなりました。

享年92歳。

NHKで特集番組をやっていたので、

見逃し配信も含め5回観ました。

深く感動しました。

 

 

 

この人の名前を知ったのはやはりNHKの特番で、

壮絶な半生でした。

母親もピアニストでドイツに留学。

そしでスウェーデン人と結婚し、

フジコさんはドイツで生まれました。

 

4歳でピアノを始めるも、

16歳の時に中耳炎をこじらせ右耳が聞こえなくなります。

しかし努力を重ね東京芸術大学に進学、

母親と同じ様にドイツへ留学しようとしたところ、

自分には国籍がない事が判明。

戦後の混乱の中で、

国籍選択の手続きが出来ていなかったからです。

 

しかしドイツ大使の計らいで、

1961年29歳の時に、

赤十字の避難民パスポートで無国籍のままドイツに留学。

ドイツでは日本人留学生達から酷いいじめを受けます。

しかし演奏会は大成功し、

ドイツの新聞は

「ショパンとリストのために生まれたピアニスト」

と絶賛します。

 

更なる成功を目指してウィーンに移り、

そこであのバーンスタインの目に留まり、

ピアノリサイタルを開く事になりました。

しかし直前に高熱のため左耳にもダメージを受け、

リサイタルは中止。

その後30年間チャンスが来る事はなく、

ドイツでピアノ教師として生計を立てていました。

 

1995年、母親の死をきっかけに日本に帰国。

1999年、67歳で発表したアルバムが、

クラシック音楽としては異例の大ヒットとなり、

NHKの特番に取り上げられて一躍時の人になりました。

以来日本と世界を演奏して周っていました。

 

 

 

2023年11月、

フジコさんは大怪我をして入院します。

イタリアで生涯を総括する様な、

ヨーロッパの有名ミュージシャン達との

コンサート・ツアーを計画していましたが、

コンサートは中止になります。

必死の治療とリハビリ。

病室に電子ピアノを持ち込み、

また病院のホールのピアノで練習を続けます。

 

2024年3月17日、

NHKのカメラの前でピアノを弾いていたフジコさんは、

突然弾くのを止めてピアノの蓋を閉じます。

その時には目はほとんど見えず、

音もほとんど聞こえなくなっていたそうです。

その後二度とピアノを弾く事はなく、

4月21日逝去、享年92歳でした。

 

 

 

番組の中には珠玉の言葉が散りばめられていました。

例えば「ピアノが上手くなりたかったら歌を習いなさい。

そして歌う様に弾きなさい」

「機械の様に正確に弾けばコンクールで一番は取れる。

しかし人の心を感動させる事は出来ない」等々。

それは絵にも通じるものです。

 

必死の治療とリハビリ。

それは自分のためと言うよりも、

演奏を心待ちにしている人達のため、

使命感だったのではないかと思います。

しかし自らピアノの蓋を閉じた時、

フジコさんは自分と自分の人生の、

その全てを受け入れたのだと思います。

 

ピアノの蓋を閉じる時の、

その荘厳に輝く手が今も心に残ります。