先日長距離のドライブをしながら、
久し振りにユーミンの曲を聴きました。
最近の事はわかりませんが、
ユーミンは以前毎年一枚アルバムを発表していて、
それが私の高校時代から三十代半ばに重なる事から、
当時を思い出す縁になっています。
当時は毎週日曜日にFMで番組をされていて、
確か「恋愛の教祖」、
あるいは似た様な言葉で呼ばれていたと記憶します。
今改めて聴いてみると、
女性の心の機微が見事に表現されていると感じます。
今でも記憶しているのはユーミンがラジオで語った、
「誰もが経験する様な事(恋愛)よりも、
特殊な事の方が共感を呼ぶ」です。
その真意は解りませんが、
私には経験のないストーリーの曲でも、
とても心に染み入るのを感じます。
人工知能研究者の黒川伊保子さんはラジオ番組で、
「恋愛とは自分が持たない免疫遺伝子を求める事」
と定義されていました。
自分の子孫を確実に残すために、
自分が持つ免疫遺伝子に加えて、
自分が持たない免疫遺伝子を子の中に取り入れる事で、
自然界での生き残りを有利にする事、
それが「発情」の意味だと。
「子はそれで良いかも知れないが、本人はどうなのか」
そう思う方も当然あるでしょう。
全ての生物はDNAの乗り物でしかなく、
自分のDNAを守る事(つまり乗り物であるこの身体を守る事)、
そして自分のDNAを子孫に繋ぐ事が最大の目的と言ったのは、
生物学者のリチャード・ドーキンスでした。
食料や財産と言った現実に存在する物だけでなく、
権利や名誉と言う様な実在のない物を守るのも、
全てこの延長線上にあります。
私は学生時代にこの人の本、
『The Selfish Gene - 利己的遺伝子』を読み衝撃を受けました。
そして自分のこの「意識、思考、感情」は何のためにあるのか、
ただDNAを残すためだけにあるのかと、
とても虚しい気持ちになりました。
だからと言って否定する事も出来ず、
あれから随分年月が流れました。
今年の2月に亡くなられた、
彫刻家の桑田弘雄さんにお会いしたのは2016年でした。
そして何度もお訪ねして話を伺いましたが、
その時こんな事を仰っていました。
「末期がんの宣告を受け、
手術を受けたが手の施し様がなくそのまま何もせずに終わった。
がんは痛いと言うがどんな痛みなのか、
その時自分はどうなるのか、
それを見るのが今からとても楽しみだ」と。
それは決して強がりでも何でもなく、
徹底的に見て観察する彫刻家の本能だったと思います。
著名人の中には大言壮語していても、
いざその時には狼狽し醜態を晒した話はかつて何度も読みました。
しかし桑田さんは最後まで穏やかでひたすら観察する人でした。
江戸城無血開城の立役者の一人山岡鉄舟は、
死の床でそろそろ行くと布団の上で皇居に向かって坐禅を組み、
弔問に訪れた人達は坐禅を組んだまま亡くなっている鉄舟を見て、
死んでいる事が信じられなかったと伝記にあります。
1888年の事です。
こう言う話は尾鰭が付く事が多いですが、
禅僧の中には坐禅を組んだまま亡くなる話は珍しくありません。
自分の「意識、思考、感情」が何なのかを徹底的に極めた人には、
そういう事が起こるのでしょう。
生きている時には生きている事しかなく、
死に行く時には死に行く今しかありません。
この世界には今しかありません。
過去や未来はどこにもなく、
それがあるのは自分の頭の中だけです。
そして自分の意識や思考や感情も、
視覚や聴覚や嗅覚等と同じ、
ヒトという生物種が進化の過程で獲得した機能でしかなく、
意識や思考や感情からくる「自分」という感覚も、
自らの命を守るのに有利だから作り出された幻です。
「そんなバカな話があるか」とお思いになるでしょう。
しかし意識も思考も感情も、
常に現実の一歩後から来る事実を一度でも見てしまえば、
何の不思議も疑問もありません。
そして驚くなかれこの事は科学でも証明されているのです。
後は納得出来るかどうか、
腑に落ちるかどうかです。
ユーミンの恋愛ストーリーにときめいていたあの頃の自分に、
こんな事を言っても通じたかどうかは解りません。
人は誰もがゼロから学んで成長し、
そしてそれを繰り返して来ました。
これからもそれを繰り返すでしょう。
それは良いとか悪いとか言うものではなく、
ただそういうものなのです。
ただそれだけの事なのです。