白川郷に向かう車の中でも、ずっと頭の中に『天地の声』の歌が響いていました。



車窓から見える風景は、私が知る北海道の広大な大地とは違って、道路自体の標高が高く、さらに周りの山が高い。



正直、岐阜をナメてたな、と思う。


すごい荘厳。



白川郷は、外国人観光客がたくさん来ていました。



最初に目についた、せせらぎと水芭蕉。



本州では、こういう標高の高いところでしか水芭蕉は咲かないみたいで、義母が北海道に来た時、平地の池に普通に咲いているのを見て、すごい感動していました。



そして、一つの木に紅色と薄ピンクが混ざった桜。



北海道の気候に似ていて、遅めの開花。



山里の風景も美しいし、建物もすごいけれど。





でも、何より、花が美しい。


やっぱり北海道に気候が似ていて、雪解けが終わると、いっせいに花々が咲き出すのだろう。









そして、雪解けの水が山からすごい勢いで流れてくる、せせらぎの美しさ。







この山里は、あまりにも山里すぎて、誰も目を向けなかったばかりに、開発の手が入らずに、昔の建物がそのまま残った。



その山里すぎる山里に、『世界遺産』のラベルを貼ると、急に価値が変わり、人が集まる。



私もその1人だけど、人間て、面白いものですね。



山も、花も、古い建物も、きっと、ずっとそこにあった。




ガイドブックに載ってるような店は混んでるので、適当に入ったお店で、ガイドブックには載っていなかった名物に出会いました。



『すったて汁』と言うらしく、大豆をすり潰して粉にした汁で、お祝いごとなどの『ハレ』の日に食べるご馳走だそうです。

豆乳とすりごまが入ってる鍋のようなお味で、美味しかったです。





そして白川郷を後にして、高山の外れの宿へ。



近くにある樹齢1000年以上の臥龍桜。


もう散ってしまっていたけど、緑の龍のように見えます。



そして『飛騨国一ノ宮・水無神社』へ。



娘がおみくじひいたら『大大吉』でした✨



そして、この神社の御神体である『位山』へ。








うちは登山はしませんでしたが、山頂の方には古代の巨石群があり、『天の岩戸』もあるようです。

ここが『君の名は。』に出てくる洞窟と小さな祠のモデルみたいです。↓


山全体が『水無神社』の『御神体』。



その『全体性』をわかって欲しくて、神社側が天の岩戸の小さな祠を一度撤去したそうですが、復活を望む声に負けて、また祠を設置し直したそうです。



祠という『特別な』建物があることで、山という全体性が見えなくなる。



北海道にいた頃、神社好きだった私は、北海道では歴史ある神社が無くて、物足りなくて、寂しく、本州の古い神社に憧れて、旅行していました。



けれど、アイヌの人々は知っていたのでしょう。



建物を建てることで、人の目はそこにフォーカスされてしまうから、すべてが調和した『全体性』が失われてしまうことを。



エデンの園で、神は、アダムに、全てのモノに名前をつけるように命じた。



これが『分離』の始まりと言われています。



ただ、有りて在るもの、調和した一枚の絵のような世界に、ラベルを貼ることで『個』と言う『分離』が生まれたのです。



昔の私は、花も、自然も、目の前にあるものが、当たり前すぎて何も見えていなくて、ただ、歴史ある神社とか、ありがたい神様がいるお社があることが、素晴らしいことだと思っていたけれど。



神はいつも、そこかしこに居る。



無いと思っているものは、ずっとある。



それに気付いていくことが、この世の一つの楽しみ方なのかもしれませんね。




続く