ツアー第四日目の午後(グラナダ:Granada)
 ミハスを11時40分に出発して、今日の主たる観光場所である、グラナダのアルハンブラ宮殿(アルハンブラ[Alhanbra]はアラブ語なので"h"は発音しないため、アランブラであるが、それは”赤い城"を意味する。アル=城、ハンブラ=赤いを意味している。約150年かけて3~14世紀に建設された。当時は2000人以上の人が宮殿に住む、年間350万人の見学客)へ向かう。お昼休憩のサービスエリア(Tiendas:店)では、夏限定のトマトベースの冷製スープであるガスパッチョ(レシピは注1を参照)とススキがイカスミご飯の上に乗ったものを食べる。ガスパッチョは、日本の冷やし中華のように夏限定の食べ物。店によって味はかなり違うが、ここのものは結構おいしかった。サービスリアを午後2時15分頃出る。
 
 グラナダ(ざくろを意味する)に近づくと、バスの車窓から、うっすら雪を頂くシエラネバダ山脈(注2参照)が見えてきた。新市街地のこの当たりは水が豊富なだけあって、緑が多く、オリーブ以外の野菜も作られているとのこと。
 
 午後3時にアルハンブラ宮殿に到着。宮殿内部の観光は予約制とのこと。 我々の予約は4時半からなので、スペイン人の案内人による宮殿の城壁外部にある庭の散策から始まった。こちらはイスラム王が夏の間、日中はこちらへ移動して過ごしたところだそうだ。とにかく、シエラネバダから水道管や水道橋で運ばれた水が豊富で、噴水がそこここにある。ここはナスル朝の夏の別荘で"水の宮殿"と言われている。また花とハーブに囲まれた宮殿だ。宮殿の高い場所は風がよく通り涼しい。その後、カルロス5世宮殿を見学した。(写真参照)
 
 4時半きっかりに、アルハンブラ宮殿に入り、メスアール宮から順次見学した。
 
 建物の外観は質素だが、内部は幾何学模様とアラビア文字の装飾があり豪華だ。これはコーランの教えを建築物に応用したのだそうだ。アルカサバという砦を観た後、「ミニタージマハール」とも言えるコマレス宮の塔の前池の前では、フラッシュがうまく作動せず、記念写真はうまく写らなかった。宮殿のそこここにあるパティオ(中庭)は建物の日陰もあり、オレンジなどの木も植えてあり、噴水もありで、特に涼しさを感じた。アラベスク天井、二姉妹の間の鍾乳石飾り、天井の寄せ木細工が見事。(写真参照)
 
 大使の間の天井は8017個のピースを組み合わせて作ったもの。天井は7つの天を表すように7段になっていた。壁にはアラビア文字で"アラーは唯一の勝利者"と書かれた文字と、歴史が書かれているのでアラビア語が読める人は壁全体の文字を読むことで、アラブの歴史が学べる教科書なのだそうだ。ライオンの中庭には12匹のライオンの石像ががり、その口からは時間に応じて水が出る仕掛けになっているらしい。
 
 王妃の間には、ステンドグラスが残っており、床にその光が映っていた。宮殿内部では唯一カラフルな場所。カルロス5世の間を通り、旧市街を眺める。オレンジのパティオを通り抜けて、貴婦人の塔の横を向けて、5時45分頃、宮殿の見学を終えた。その後、新市街にある、ホテル(アバデス・ネバダ・パラス)に向かった。
 
 ツアー第四日目の夜は洞窟でのフラメンコ鑑賞
 夕食後、9時過ぎにホテルを出て、フラメンコを観に旧市外へ行った。(写真参照)
 
 フラメンコの劇場は50名ぐらい収容の細長い小さな洞窟劇場だった。切れがある踊りと独特な歌を楽しんだ。帰りに旧市街からアルハンブラ宮殿夜景を撮影した。半月が宮殿の真上に懸ってきれいだが、写真にはうまく写らない。0時過ぎにホテルに戻った。明日は7時半出発でバレンシアに行く。(写真参照)
 
注1)4人分(約1リットル)のガスパッチョのレシピ
①完熟トマト(中) 6~7個 茹でて皮をむく
②キュウリ  1本 皮をむく
③タマネギ  1/4個(日本のもの)、新タマネギなら1/2
④ニンニク  1カケ
⑤オリーブオイル  大さじ5~6杯
⑥ワインビニガー(白) 大さじ5~6杯、好みで、無い場合は米酢
⑦塩、こしょう お好みで
⑧パプリカ お好みで
⑨パン お好みで
①~④、⑧の材料を細かく切って、水を少し入れてジューサーにかける。
⑤~⑦を入れて少しジューサーで混ぜる。冷蔵庫で冷やす。
食べる前に、①~③、⑧の材料をみじん切りにして散らす。
パンは少し濃厚なものが好みの時に使用する。
 
注2)英語になったスペイン語:(要検証)
英語 スペイン語の意味
コロラド 色づいた
シエラネバダ 雪の山脈
ラスベガス 肥沃な土地
ロスアンジェルス 天使達
フロリダ 花が咲いた
 
バスの添乗員さんから聞いたこと
グラナダ:(要検証)
人口:23万人、95%がキリスト教と、5%がイスラム教、
1236年:コルドバ陥落
1238年:グラナダ建国
1492年:グラナダ陥落、スペインでのイスラム最後の砦の崩壊。レコンキスタの完成。この年はコロンブスの新大陸発見の年でもある。実はコロンブスはもっと以前に航海に出る許可をスペインのイザベル女王に依頼していたが、イザベル女王はレコンキスタの完成を待つように言っていた。女王はアルハンブラ宮殿の価値を知っていたため、無理な戦闘を避けたらしい。イスラムの最後の砦であるグラナダの無血開城が実現したのは、この女王と、スペインでのイスラム最後の王であるボアブディルがいたためだ。ボアブディルは江戸城の無血開城をした徳川慶喜のようなものだが、部下の勝海舟にあたる人物がいたのだろうか。アルハンブラ宮殿には22代のイスラムの王が住んだ。
 
 イスラムがこの土地(グラナダ)を重要視したのは、シエラネバダ山脈からの豊富な水があったためらしい。アルハンブラ宮殿は兼六園のよに水が豊富な城である。無血開城であったために、アルハンブラ宮殿は後世に残った。その後、18世紀の王位継承戦争、ナポレオン戦争で荒れ果てた。アルハンブラ宮殿が再度脚光を浴びたのは、4世紀後である。19世にアメリカ人の作家である、ワシントン・アーヴィングが、宮殿に住みながら、『アルハンブラの思い出』を書き、それがアメリカでヒットし、世界中にアルハンブラ宮殿が有名になったためである。
 
オリーブ:(要検証)
 オリーブの生産量はスペインが第1位。収穫時期は11月で、その時期になるとアフリカから季節労働者が来る。南斜面が終わると北斜面のように移動して収穫する。実に傷が付くのを嫌う場合のみ手摘み(熊手のようなものを使う)だが、最も一般的なのは振動法(木全体を揺すって実を落とす)である。この方法を利用するするため、オリーブの木の間隔は作業の車が通れるように広くなっている。その他、人力(長い棒、鞭でたたき落とす方法)がある。しかし、この方法は実を傷つけやすい。収穫期は学校も休みになる。
 
五泊目は=>こちら
 
写真
グラナダ_アルハンブラ_水の宮殿
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グラナダ_アルハンブラ_水の宮殿からアルハンブラ宮殿を望む
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グラナダ_アルハンブラ宮殿_入口
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グラナダ_アルハンブラ宮殿-カルロス5世宮殿内部
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グラナダ_アルハンブラ宮殿-ナスル朝宮殿コマレスの塔
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グラナダ_アルハンブラ宮殿-ナスル朝宮殿_ライオン宮
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グラナダ_アルハンブラ宮殿-ナスル朝宮殿から見た旧市街
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グラナダ_アルハンブラ宮殿-ナスル朝宮殿_ザクロ
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グラナダ_アルハンブラ宮殿に懸る半月
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グラナダ_洞窟のカルメン-踊り
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グラナダ_洞窟のカルメン-ミュージシャン
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