生生流転
道に迷い苦しみ 時には人のそしりをうけて
それでも笑って 胸張って生きられるほど
強く 強く なりたい!


この詩は、1981(昭和56)年公開のドキュメンタリー映画「長江」の主題歌です。さだまさしさんは、1980年に戦後初めて中国でソロコンサートを行なった日本人歌手として、また、世界で初めて長江流域を映像に収めた人でした。

来年には長江(揚子江)を堰き止める壮大な「山峡ダム計画」が完成する予定だったと思いますが、これにより山峡に広がる多くの景勝地が水没。

当時のさださんは・・・

『長江(揚子江)の流れが変わる前に映像にしたかった。』
『長江の最初の一滴が見たい。』


と言っていたと記憶しています。

のろのろブログ-山峡ダム
▲現在進行中の三峡ダム


しかし、何故に?中国だったのでしょうか?

中国は、さださんの祖父と祖母の出会いの場でした。

戦時中、祖父は中国大陸で諜報活動に従事したのち商工省の大臣秘書官を務めた方、祖母もウラジオストックで料亭を営んでいらした方。そして二人が結婚し、さださんの父が生まれる。復員したのちは祖父の実家の島根には帰らず、長崎に落ち着きさださんが生まれた。

さださんの詩の中にも、また、トークの中でも優しかった祖母の話がたくさん出てきます。おばあちゃんっ子だった彼が中国への憧れを持つことは、とても自然だったのかもしれませんね。

ちなみに・・・

映画「長江」は、全国120館で上映のヒット。しかし、制作費の掛け過ぎによる約30億円もの負債を背負う事となりました。これはさださんの自虐ネタとしても有名な話です。

1年半に渡る中国での撮影は、何かと不安になることも多かったことでしょうね。『生々流転』は、そんな状況の中から生まれた詩です。本人も「これは、開き直りの曲だ」と言ってました(^^♪

のろのろブログ-長江


またこの頃から「暗い」「右翼」「左翼」「軟弱」「女性蔑視」など様々なバッシングを受けることにもなります。そんな中にありながらも「北の国から」のサウンドが生まれているんですから凄いことですね。

現在、コンサート回数が3000回を越えた背景には、借金返済のためにはやらざる得ない現状がありました。今のさださんを支えたのは、借金を返すという強い気持ちとコンサートに足を運んだファンだったわけです。

10周年辺りの頃だったと思いますが、吉見佑子さんとの対談で「もう少しだけやって歌をやめる・・」の言葉を聴いた記憶もあります。しかし、35周年を迎えてまだ唄ってくれている。そして、ほぼ?全部?借金も返したそうですね(@_@;)


今年の紅白歌合戦・・・さだまさしさんの落選が報道されました。今年のさださんと言えば、初の民放局からの生放送だった「秋の夜長も・・・」の実績といい、紅白のあとに放送される「年の初めも・・・」の放送公約といい、落選なんてまずあり得ないと思えるNHKへの貢献度だっただけに、ファンにとってはかなり衝撃だったと思います。

とはいえ、紅白が終ったあとにまっさんの「年の初めはさだまさし」が放送されるわけですから・・・別に紅白なんぞに出なくったって・・ねぇ(;一_一)ドウセ、ボクハミレナイシ・・・

ピークは過ぎた・・・との辛口の話を目にすることがありますが、グレープというデュオからはじまり、病気・長崎放送への就職活動を経た後にソロになって今まで、島を買って、映画を作って、借金を作って、借金を返して、詩を作って、コンサートをやって、小説を書いて、ラジオもやって・・・・。

そんなおじさんから絞り出されるエキス(作品)を聴けないのは絶対に損!・・・と僕は思うんだけどなぁ~(^^♪


「生生流転」 by さだまさし


≫≫ 生生流転 意味
すべての物は絶えず変化し、移り変わっていくこと。
▽「生生」は物が次々と生まれ育つこと。「流転」は物事が止まることなく移り変わっていく意。「生生」は「しょうじょう」とも読む。 - goo辞書転載 -

≫≫ 参考資料 ⇒ 日本中国友好協会「引き継がれた長江への思い」
≫≫ 歌詞を見る ⇒ 「生々流転」

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