
(奥羽皆敵)
奥羽鎮撫総督九条道孝に対し赦免嘆願書を出すも却下された数日後、奥羽鎮撫総督府下参謀の長州藩士世良修蔵は、同じ下参謀の薩摩藩士に向けて密書を書きました。内容は、兵力不足から奥羽鎮撫の実効が上がらないため、増援を願うものでした。しかし、この密書が以前から世良の動向を警戒していた仙台藩士瀬上主膳や姉歯武之進らの手に渡りました。そして、密書の中にある「奥羽皆敵」の文面を見て激昂し、宿泊先である金沢屋において世良を襲撃しました。後日、阿武隈川の河原にて世良は斬首されました。
会津赦免の嘆願を拒絶されたことと、世良修蔵を暗殺したことによって、奥羽諸藩は朝廷へ直接に建白することで一致しました。そのためには東北諸藩の結束を強める必要があることから、各藩へと働きかけた結果、同盟藩が14藩から31藩となりました。
(奥羽越列藩同盟参加藩 -計31藩-)
仙台藩・米沢藩・二本松藩・湯長谷藩・棚倉藩・亀田藩・相馬中村藩・山形藩・福島藩・上山藩・一関藩・矢島藩・盛岡藩・三春藩・久保田藩・弘前藩・守山藩・新庄藩・八戸藩・平藩・松前藩・本荘藩・泉藩・下手渡藩・天童藩・長岡藩・新発田藩・村上藩・村松藩・三根山藩・黒川藩
(奥羽政権構想)
定かではありませんが、一時、この同盟には『奥羽政権構想』があったと云われます。上野戦争から逃れて会津に来ていた輪王寺宮公現法親王を盟主として東北が一致して京都新政府に対抗する『奥羽政権』を樹立する、といった内容です。実際に次のような組織構造が成立していました。
盟主 : 輪王寺宮公現法親王
総督 : 仙台藩主伊達慶邦、米沢藩主上杉斉憲
参謀 : 小笠原長行、板倉勝静
しかし、成果を出す前に同盟自体が崩壊してしまったこともあって、今となっては定かではありません。
(同盟の崩壊)
7月、同盟藩の久保田藩(秋田藩)に、奥羽鎮撫総督九条道孝が訪れ沢副総督と再会し、新政府軍が秋田に集結することになりました。
もともと同藩出身の平田篤胤の影響で尊王論の強かった秋田藩の中では、同盟はしたものの藩内の意見のまとまりは弱く、尊王論に傾倒した若い武士らが暴走して仙台藩からの使者11名を斬りました。このことから、半ば成り行きによる同盟の離反と庄内藩への進攻を決定したのでした。
仙台藩はこれに怒り秋田領内に侵攻し、庄内藩とともに秋田周辺での戦闘を激しくしました。最初、優勢であった列藩同盟軍でしたが、時間の経過とともに劣勢へと追い込まれ、9月中旬には全て同盟藩が新政府側に降伏することとなります。
さて、いよいよ主戦場が会津へと移ります。
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