

(小御所会議)
王政復古の宣言がなされたその日の夕方、御所内の小御所にて明治天皇の御前における新体制(総裁・議定・参与)としての初会議が開かれました。各藩から選ばれた藩士も敷居際に陪席を許され、この中に薩摩藩の大久保利通、土佐藩の後藤象二郎らも同席しています。
(新体制の三役)
総裁:有栖川宮熾仁親王
議定:仁和寺宮嘉彰親王、山階宮晃親王、中山忠能、正親町三条実愛、中御門経之、島津忠義、徳川慶勝、浅野茂勲、松平慶永、山内容堂(豊信)
参与:岩倉具視、大原重徳、万里小路博房、長谷信篤、橋本実梁
※ なお、この三職制度は翌年閏4月の政体書にて廃止され、太政官制度に移行する。

この席で土佐藩の山内容堂ら公議政体派は、前将軍の徳川慶喜が会議の出席を許されていないことを非難し、慶喜を議長とする諸侯会議の政体を主張しました。これに対し岩倉具視、大原重徳ら新体制派は押されていました。しかし、山内が・・・
「そもそも今日の事は一体何であるか。二、三の公家が幼沖なる天子を擁して陰謀を企てたものではないか」
と詰問すると、岩倉は・・・
「今日の挙はことごとく天子様のお考えの下に行われている。幼き天子とは何事か」
と山内の失言を責めると、山内は沈黙したといいます。この後、岩倉らは徳川政権の失政を並べ、慶喜の辞官納地による誠意を見せることが先決であると主張。双方譲らないまま会議は休憩に入る。
休憩の合間に、薩摩藩家老岩下方平は外で警備を担当していた西郷に会議紛糾の様子を伝えると助言を求めました。西郷は「短刀一本あれば片付く」と答え、これを聞いた岩倉らは芸州藩を通じて土佐藩に働きかけました。土佐藩の後藤象次郎はこのことに驚き、主君に対して、
● これ以上幕府の肩を持つ義理はないこと
● 岩倉らに反対することは土佐藩にとっても良策ではない
と進言しました。山内容堂はその後藤の言葉を沈思すると、再開された会議においては一転、沈黙を守ったのです。

結果、徳川慶喜の辞官納地(官位を辞して領土を朝廷へと返す)、京都守護職、京都所司代の廃止が決められました。そして、徳川一門の慶勝、慶永が使者として慶喜へと伝えられることになります。
しかしその後、土佐藩ら公議政体派による再度の巻き返しにより、辞官納地も有名無実化される寸前になるのですが、薩摩藩の工作に幕府側の強硬派が乗せられたことで起こった『鳥羽・伏見の戦い』が始まることになるのです。
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