哀愁を帯びた”しょぼい”音が魅力だったKENNY DORHAMも時代の流れに合わせて、力強い演奏が多くなっていきます。

 

 

THE ARRIVAL OF KENNY DORHAM(JARO JAM 5007)

 

フロントにCHARLIE DAVISのバリトン・サックスが加わりましたが、このゴリゴリのバリトンの音はDORHAMの繊細なトランペット魅力を打ち消していて、人選として失敗だったと思います。それが証拠に、良好なのはバリトンが抜けた「I'M A OLD COWHAND」や「STELLA BY STARLIGHT」といったトラックで、それらもDORHAMにしては、何時になく明るく、また荒々しくて、“らしく”ありません。ただ、J.R.MONTEROSE 盤とJAROレーベルの2大名盤と言われるだけあって、全体的にはハードバップの楽しい作品です。また録音は抜群なので、「音楽」よりも「音」に興味を持つ方にはお奨めです。

 

 

 

 

WHISTLE STOP(BLUE NOTE 4063)

 

BLUE NOTEに復帰し、かつてJAZZ MESSENGERSで一緒だったHANK MONBLEYを迎えた、安定したハード・バップセ・ッション。PHILLY JOEのドラムスが煩すぎるのとDORHAMの楽曲にファンキーなものが多く、哀愁を帯びた曲がないのが欠点。「SUNSET」はDORHAM作のモーダルなナンバー、時代の流れから挑戦してみたのでしょうが、このメンバー(DORHAM、MOBLEY、 DREW、CHAMBERS、PHILY JOE)で、よく頑張っているものの、ちょっと無理があるような・・・。スタンダードを2曲くらい採用していれば人気盤になっていたと思います。

 

 

 

 

INTA SOMETHIN'/KENNY DORHAM & JACKIE McLEAN (PACIFIC JAZZ PJ-41)

 

1961年から62年にかけ、DORHAMはJACKIE McLEANと双頭コンボを組んでいて、BLUE NOTEに番号(4116番)まで決まりながら、お蔵入りしたレコード(70年代に発売)を録音していますが、これは、その時の西海岸ツアーの模様を収めた最高に楽しいライブ。この時期、McLEANは『LET FREEDOM RING』の揺り戻しでハード・バップ的な演奏に終始していますが、それが好結果に繋がっています。(お蔵になった)BLUE NOTEのアルバムが、McLEAN名義だったのでDORHAMの名前が先に記載されていますが、「LET’S FACE THE MUSIC」や「LOVER MAN」でDORHAMは外れており、主導権はMclEANが握っていました。DORHAMは「IT COULD HAPPEN TO YOU」の、ウキウキしてくるような明るいソロが素敵です。

 

 

 

 

TRONPETA TOCCATA(BLUE NOTE 4181)


 

1964年9月録音の、このアルバムがDORHAM最後のリーダー作となりました。1969年のSTRATA-EASTの名作『CLIFFORD JORDAN IN THE WORLD』にも参加していたことを考えると、時代が最早、DORHAMのリーダー作を必要としなくなったということなのでしょうか・・・ちょっと残念な気がします。この頃のDORHAMは、無理やり時代に迎合しようという意識が強く、でも意識すればするほど、時代にマッチしていたJOE HENDERSONの世界になってしまう危険性を含んでいたように思います。全体的には素晴らしい内容ですがDORHAMらしく無く、多くのDORHAMファンは、JOE HENDERSONの『PAGE ONE』で提供した「BLUE BOSSA」のような哀愁を帯びた繊細な演奏を望んでいたはずです。