現在のように、契約でガチガチに縛られている時代と違って、モダンジャズの時代は、ミュージシャンの貸し借りも「COURTESY OF ○○RECORDS」の記載だけで、ある程度は大らかだったように思います。尤も絶対不可能な場合は変名を使って参加、『COLECTOR’S ITEMS』(PRESTIGE 7044)のCHARIE CHAN(CHARKIE PARKER)や『HERE COMES LOUIS SMITH』(BLUE NOTE 1584)のBUCKSHOT LA FUNKE (CANNONBALL ADDERLEY)は、有名ですね。

 

 

中には、明らかにバーター取引のような例も。PACIFIC JAZZ在籍中のCHET BAKERに目を付けた大手COLUMBIA、CHET BAKERを借りる代わりにJAZZ MESSENGERSをPACIFIC JAZZに貸出し、そうして録音されたのが『CHET BAKER & STRINGS』と『RITUAL』と言われています。『RITUAL』のライナーノーツの最後にも「THIS ALBUM WAS PRODUCED FOR PACIFIC JAZZ BY GEORGE AVAKIAN IN EXCHANGE FOR A CHET BAKER ALBUM PRODUCED FOR COLUMBIA RECORDS BY RICHARD BOCK」と記載されていて裏付けされていますが・・・でも、いろいろと疑問が・・・・。


 

『CHET BAKER & STRINGS』は、1953、1954年の録音で発売は1954年。COLUMBIAのマルーン・レーベルから発売時期に間違いはないでしょう。一方『RITUAL』は1957年の録音・発売。これもMESSENGERSのメンバーから正しいと思います。とすると、両者は3年もズレているのです。バーター取引というには、間が空きすぎです。しかもCHET BAKERやJAZZ MESSENGERS自体を貸し借りした訳ではなく、録音はそれぞれの会社で行って、テープを相手側に渡し、渡された側は(ジャケットを作成し)販売しただけなのです。

 

PACIFIC側 「そう言えば、3年前のCHET BAKER & STRINGSの見返りはないの?」

COLUMBIA側  「あ~、すっかり忘れてたよ。CHETの評判はイマイチで、大したセールスにならなかったんだ。でも、こちらから依頼したし、MESSENGERSの録音で、お蔵入りしそうなのがあるから、それを廻すよ、それでチャラだ。」

 

こんな、やり取りがPACIFICとCOLUMBIAの間で、あったかは分かりませんが「当たらずも遠からじ」ではないかと・・・・。


CHET BAKER & STRINGS (COLUMBIA CL 549)

  

PACIFIC JAZZゆかりのJACK MONTROSE、ZOOT SIMSら集め、RICHARD BOCKのプロデュースで行われたセッション。仰々しいストリングスが、主役のCHET BAKERの繊細で陰影に富んだトランペットの魅力を打ち消しています。一般受け狙いの極甘の選曲も、同じタイプの曲ばかりで、メリハリがなく2~3曲で飽きてしまいます。COLUMBIAからの発売自体は「西海岸のスター」から「全米のスター」へと押し上げる目的だったのでしょうが、失敗作に終わりました。

 

 

 

RITUAL / THE JAZZ MESSENGERS (PACIFIC JAZZ PJM-402)

 

暗黒時代と揶揄された時代のMESSENGERS、でも内容は悪くなく、McLEANやBILL HARDMANの好演もあり見逃せない一枚です。問題はB面冒頭のBLAKEYのコメント(2分)と、続くドラム・ソロ(タイトル曲:9分半)にあります。ドラム・ソロは、A面の「ONCE UPON A GROOVE」の中でも披露していたので、TOO MUCH!それと同時期にドラム、パーカッションを強調したアルバム『DRUM SUITE』(COLUMBIA CL 1002)を録音済みだったのが、COLUMBIAが最終的に『RITUAL』の発売を躊躇(お蔵入り)した理由だと思います。

 

以上がCOLUMBIAとPACIFIC JAZZの間で、最初からバーター契約があったとは思えない根拠です。

 

 

 

 

一方、こちらはドル箱スター同士貸し借り成功例です。LES McCANN のPACIFIC JAZZのリーダーセッションにBLUE NOTE在籍中のSTANLEY TURRENTINEが客演、そのお礼にBLUE NOTEのTURRENTINEのリーダーセッションMcCANが参加しました。

 

LES McCANN LTD. IN NEW YORK (PACIFIC JAZZ PJ-45)

裏面にSTANLEY TURRENTINE IS HEARD BY ARRANGEMENT WITH BLUE NOTE RECORDSの記載あり。

2テナー(STANLEY TURRENTINE、FRANK HAYNES)、BLUE MITCHELLをフロントにしたLES McCANN LTD.のニューヨークはVILLAGE GATEでのライブ。この頃(1962年)のLES McCANは、PACIFIC JAZZの稼ぎ頭で西海岸からジャズの本場、ニューヨーク進出を図っていました。R&B、SOUL、BLUES色が強いMcCANN、これにTURRENTINEのBLUESYなテナーが加わることで、より濃厚になるとともに都会的で洗練された音になりました。TURRENTINE色が強いスローブルースの「FAYTH YOU‘RE」がベスト・トラックです。

 

 

 

THAT’S WHERE IT’S AT (BLUE NOTE 4096)

裏面にLES McCANN PERFORMS BY COURTESY OF PACIFIC JAZZ RECORDSの記載。

TURRENTINE側はドラムのOTIS FINCH、McCANN側はベースにHERBIE LEWISをメンバーに、2対2の東西対決の様子を呈していますが、違和感は全くなく長年UNITを組んでいたかのようです。LES McCANNが入ったことで、いつものTURRENTINEよりR&Bの風味が若干強いかなぁと感じる程度です。聴きどころはB面、ミディアム・スロー調でソウルフルに歌い上げるTURRENTINEに、ゴスペル・タッチのMcCANNが寄り添って良い味を出しいる「WE‘LL SEE YAW’LL AFTER WHILE、YA HEAH」、しんみりとしたバラードの「DORENE DON’T CRY、I」、そしてラストを飾るのがTURRENTINEとしては、COOLに決めた軽快な「LIGHT BLUE」で構成されています。B面の雰囲気は、名盤『BLUE HOUR』(BLUE NOTE 4057)をキャッチーにした感じ、至福のひと時を味わえます。

 

 

このTURRENTINE-McCANNコンビは、パーマネント・グループを結成しても良いくらい相性が良かったと思いますが、当時はそれぞれのレーベルのドル箱スター、叶うことはありませんでした。