唐突ですが、
今年の8月に、藤井風さんの日産スタジアムライブへ行ってきました。
これ、私の終活の一つ。
やってみたいことを考えた時に、
真っ先に、藤井風のライブに行きたい。と思ったんですよね。
それで、驚いたことに当選。びっくりしました。
(後で知ったけど、ファンクラブみたいなものはなくて、みんな抽選なんだってね。風さんらしい)
スタジアムに風さんが登場したとき、
うわ、ホンモノ!
本当にいたんだ、この人っていうのが私の実感。
長年YouTubeで聴いてきましたから、存在してるのは知ってましたよ。(当たり前だけど)
でも、まさか、目の前に、生きて動いて話して歌い踊る風さんが、登場するとは。
風さんが登場した途端に、スタジアムに、風オーラがふわふわふわーっと流れ出したような感じがしました。
風さんのピアノで、さらさらさらと空気がキレイになっていく感がありました。
多くの人を魅了し励ます音楽を生み出す能力、藤井風という人は、飛び抜けた才能の持ち主なんだーーって、改めて思った。
こういう人が天才なんだろうと思った。
(才能だけでなく努力もしていますよね)
と、同時に、普通である自分がすんなりと受け入れられた感覚がありました。
自分に飛び抜けた才能があるとは思ってないくせに、
私が暮らす世界で、特別でいたい、自分ってすごいと思われたい、という気持ちが私は強かった。
でも、風さんのように圧倒的な存在を目の前にして、そのオーラの中にいると、心がふわーっと軽くなって、
風さんが、指パッチンするたびにネガティブな感情を日産スタジアムの空に飛ばして帰ってください、みたいなことを、観客に呼びかけたシーンがあったんですよね。
風さんがいうなら、はい、やりますよ。
「私が」「自分が」「私を認めて」「私はすごいと思われたい」という気持ちを手放していくイメージをしながら指ぱっちんしたんです。
そうすると、本当に、日産スタジアムの空に、そういう執着心が飛んでいった。
今でも、自分を認めてもらいたいっていう気持ちはあるし、褒められると嬉しい。
でも、ライブ行く以前の、しがみついた感じはなくなったし、
しがみついているな、という客観的な視線を持てるようになったと思う。
「自分を認めてもらいたい」という考えに執着していると、
自分を認めない人に軽い憎しみを抱いたり、
自分よりできる人に、嫉妬心を抱いたりして、それが自分を苦しめていた。
私、自分への執着心が強いだろうね。
でも、そんな苦しみは、自分で勝手に苦しんでいるだけで、
なんの益もないし、目を曇らせる。
そんな暇があったら、自分ができることや努力できることに集中する方が、いいんだな。
という考え方に変わってきた。
風さんの歌で、まつりという歌に
苦しむことは何もない
肩を落とすこた一切ない
という歌詞があります。
それは、現実の問題や失敗から目をそらして、楽しく生きようっていう意味じゃなくて、
その事象に目を向けることが大切。
それなのに、できない自分や失敗した自分を、他人がどう思うかに目を向けてしまうから、苦しくなる。
その結果、自分がやるべきことに力が及ばなくなる、ってことかなーって勝手に思った。
できないことをできるようにする努力に苦しみはないし、
今の努力している自分に集中していれば、苦しむことは何もないのかも。
と、私なりに、感じることが多かった夏の終わりの日産スタジアムライブでした。
ありがたし。