ノリパーのブログ
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「ゴジラ2000 ミレニアム」の感想

27年越しの劇場での鑑賞

 現在、ゴジラ生誕70周年記念企画「ゴジラ・シアター」として、TOHOシネマズ5劇場でゴジラ映画が順次上映されている。そこで、長年、劇場で観ていなかった唯一のゴジラ映画『ゴジラ2000 ミレニアム』を、日比谷での再上映でようやく鑑賞することができた。
 公開当時(1999年)はネット上でも極めて評判が悪く、当時は娘もまだ1歳で公私ともに忙しく、「これはわざわざ劇場に行かなくていいな」と判断して見送った作品だった。

 そして27年越しにスクリーンで観て、結論から言えば――やはり厳しかった。

とにかく人物に葛藤がない

 この映画でまずつらいのは、登場人物を理解できないことだ。

  何を考えているのか分からない。
  何を望んでいるのか分からない。
  何に迷っているのかも分からない。

 ただ状況に対して反応し、結論めいた台詞を断定口調で言うだけ。行動に至る意思の積み重ねがないから、台詞も行動もすべて唐突に見える。つまり人物は「思考して動いている」のではなく、脊髄反射しているだけなのだ。

 もちろん、村田雄浩演じる主人公篠田と佐野史郎演じる宮坂との会話から、彼らにそれなりの思いがあったのだろうというのは理解できる。しかし、肝心のそれなりの思いが観客に伝わらない。それって、何なの??と。

 唯一共感できたのは、父親を心配する少女、篠田の娘イオくらいだ。彼女だけは感情の方向が明確で、「なぜそうするのか」が伝わってくる。

 今回対ゴジラを担う国家組織である危機管理情報局(CCI)のリーダー片桐を演じる阿部寛も厳しい。後年の『下町ロケット』や『VIVANT』で見せた、迷いと責任を背負った人物像とは別人だ。むろん、キャラクターとしては別人なのだが。ここでは終始、眉間に皺を寄せて同じような不機嫌顔で結論を述べるだけだ。

 ラストで「ゴジラァァーーー!」と大声で叫ぶが、そこに至る感情の蓄積がないので、唐突で、正直「急にどうした!? 気でも触れたか?」としか思えない。叫びとは、本来、それまでの葛藤の爆発であるべきだ。 いかれたヤツの大声であってはならないはず。特にこうした場面においては。

ミレニアン周りの設定の描写が弱い

 6000万年前に地球に飛来していた宇宙生命体ミレニアンという存在は、肉体を持たないという設定を含め、なかなか興味深い。そして、ミレニアンが日本のネットワークに干渉し、情報収集するというアイデア自体は悪くない。

 しかし描写があまりに雑だ。

    阿部寛演じる片桐が率いる危機管理情報局(CCI)がミレニアンによるネットワークへの干渉に気づかず、全くの無防備。月刊誌の女性記者一ノ瀬が先に気づく。彼女は、コンピューターに詳しいという設定があるようなのだが、それがどの程度のものなのか画面からは解らない。そんな素人にも劣る国家組織という印象のみを残す描写である。むろん、ラストではそれに相応しい結果となるのだが。
 侵入の過程も、システム側の対応も、異常検知のリアリティもない。しかも、ミレニアンによる情報アクセスの方法が「見えない触手」。これはダサい。何にどう接続しているのか分からず、質量も手応えもない。ただ“なんか妙なことをしているらしい”以上にならない。特に物理的に接触しているビルに設置されている端末からアクセスするのなら、物理ケーブルを見せた方が視覚的にも感覚的にも解りやすいだろうに。

新兵器がつまらない

 この映画には「フルメタルミサイル」や「ブラストボム」といった新兵器が登場する。だが、どれも見せ方が上手くない。

 まず「フルメタルミサイル」だが、これは硬度の高い金属を使って標的の装甲を徹甲弾のように貫通させるいわゆる運動エネルギーミサイルだという。その貫通力は幾重にも重ねられたコンクリート塊を貫通する描写によって示された。そして、そのとおり、その徹甲弾的なミサイルはゴジラには刺さる、しかし、それだけ。炸薬も毒もなく、ただ太い針がブスブス刺さるだけで、ゴジラに多少のダメージは与えたかのようではあるが、結局はどうにもできなかった。

    絵としても冴えない上に、新兵器の割にドラマにもなっていない。使えない新兵器だ。

 次に「ブラストボム」である、これは一方向に爆発を収束させる大型爆弾らしいが、それをビル上層階の床にリベットガンで固定し屋上のミレニアンを破壊しようとした。しかし、ちょっと待ってくれ。屋上にある頑丈なミレニアンのUFOを破壊する程のエネルギーが上層階に向けて発射されるのなら、その爆弾自体が床を突き破って落ちるしかないだろう。そもそもそうした兵器は地表で使うべきものだ。建造物の高層階で使用することは想定されていないだろう。せめて、嘘でもいいから、同程度の爆発力を下にも出す改良を施したという描写くらいはして欲しい。

 過去のゴジラ映画でも、人類は様々に工夫を凝らして戦いを挑んでいる。昭和29年の「ゴジラ」からして、巨大な有刺鉄条網を建て、変電所から高圧電流を送りゴジラを食い止めようとする。結果的にはゴジラには効かないのであるが、その準備作業をしっかり見せることによって作戦の意図を観客に伝え、それでも尚ゴジラは食い止めるができないことによる人間の無力感、ゴジラの強大さが演出されている。失敗した作戦でも、そこの情動があったのだ。

   他のゴジラ映画でも、そうした描写は枚挙に暇が無い。通常兵器であれば、それを使用するにあたっての段取りをきちんと見せることによって成立する対ゴジラ戦である。それが架空兵器を使うのであれば、その兵器の威力や効果をしっかりとビジュアル化することが最大の課題である。本作においては、それが実に中途半端なものに終わっている。そら、失敗するわ、と観客は納得する他はない。

細部の描写にも課題が

 冒頭、根室で劇中初めてゴジラが姿を現すのは灯台の窓越しである。灯台の職員が揺れを感じて窓から海の方を見ると、やや荒れ気味だが、特に変哲のない波打ち際が見える。しかし、そのすぐ後に船を咥えたゴジラの顔がどアップで現れるのである。ちょっと待て、ゴジラはどこからやって来たのだ?灯台の下から生えてきたのか、それも船を咥えて…。海から上陸したのに違いないのだ。だとしたら、巨大なゴジラの浮上により大波が立つのが自然だ。にもかかわらず、その描写がない。観客を驚かせるための演出なのかもしれないが、違和感の方が先に立つ。
 その直後の居酒屋のシーンもどこか妙だ。巨大なゴジラが足音を立てながら侵攻してくるのに、あれほど接近するまで暢気に酒を飲んでいるのというのも納得いかない。急に大きな地響きというのも妙だ。ゴジラが近い付いてくるなら徐々に震動を感じるはずだ。これも、驚きを演出するためなのかもしれないが、これまた違和感しかない。

 そもそもゴジラが存在するという大嘘を付く以上は、ゴジラの存在を示すためには、可能な限りリアルな描写を積み重ねなければならないのだが、この作品は、冒頭からしてその鉄則が守られていない。
 根室にゴジラが上陸した直後のことと推測するが、CCIの宮坂(佐野史郎)は海底でミレニアンを発見する。ここがまたよく解らない。ゴジラが現れたのに何をやっているのだろうかと。ゴジラを探していたというわけでもなさそうである。構成としては、この海底のシーンはゴジラ出現前の冒頭にもってくるべきだろう。ゴジラの根室上陸を知った後であれば危機管理情報局としては、ゴジラ対策に注力するのが自然だ。全く以て緊張感を欠く展開だ。

 茨城にゴジラが上陸し、自衛隊やミレニアンと交戦した際、その周辺でごく当たり前のように電車が走っているというのも不自然極まりない。ゴジラが茨城に上陸することは解っていたのだから、周辺の電車の運行は止まるのが普通ではないか。そこに限らず、とにかくゴジラが上陸しても、謎のUFOが現れても、平穏な日常がそこにある。緊張感の欠片もない。劇中の報道機関は何をしてるのか?劇中の日本は、ロシアや中国以上の報道統制が隅々まで行き渡っているという設定なのだろうか。

 かように画面の端々に不自然な描写が見られるのだ。

総評

『ゴジラ2000 ミレニアム』は、

  • 人物に葛藤がない
  • 異星人描写が浅い
  • 兵器描写に工夫がない
  • 細部の描写に説得力がない

 結果として、全体的に、情動を呼び起こさず、逆に違和感を感じさせる映画になってしまっている。

 しかし、ゴジラは強い。その放射熱線は強力だ。見せ方も派手で、さすがに迫力がある。もっとも、それは過去作で積み上げられた“完成された型”を踏襲しているからできることだ。背びれ発光 → 溜め → 発射 → 爆発 これはもう勝ちパターンである。

 そして、姿形も従来より鋭いものとなっており、これはこれでなかなかカッコいい。ここは、好みによって賛否は分かれざるを得ないだろうが。

 でも、それだけでは足りない。怪獣映画は、怪獣の強さと、人間の知恵と、世界の揺らぎがぶつかって初めて面白くなるのだ。人間に知恵が無く、揺るがない世界に現れたゴジラは、映画スターとしてはかなり不幸である。

 

 それでも、劇場で観ていなかった唯一のゴジラ映画を、27年越しにスクリーンで確認できたことには意味があった。

   そして何より、こうして勢いに委せてダメ映画を語るのが案外楽しいことを知ったことも収穫かもしれない。

 

 

 

 

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