『ヤマトよ永遠に REBEL3199 第六章 碧い迷宮』ネタバレ有の感想~迷宮の出口が見えてきた
前説
『ヤマトよ永遠に REBEL3199 第六章 碧い迷宮』を観てきた。結論から言えば、面白かった。
ただし、分かりやすいカタルシスで押し切る章ではない。第五章のように戦闘シーンで畳みかけるわけでもなく、ヤマト本艦に至っては、ほとんど戦闘らしい戦闘をしていない。
では退屈だったのかと言えば、まったくそんなことはない。むしろ第六章は、これまでに広げてきた要素を、最終章へ向けて整理していくための章だったと思う。敵の本当の狙いを見せること。味方側の配置を整えること。旧作『ヤマトよ永遠に』の要素を、現代版の物語へどう置き換えるのかを示すこと。そして、最終章で何を決着させるべきなのかを観客に見せること。
第七章が最終章になる以上、第六章でやるべきことは、派手に勝つことではない。その意味で、本作はかなり構成のしっかりした章だったのではないだろうか。小説家が総監督を務めているだけのことはある、と思わされた。
以下、ネタバレを厭わずに感想を書くので、未見の方はご注意を。
ヤマトは戦わない。だが、ヤマトの中では反乱が起きる
第五章のラストで、ヤマトはデザリアム本星へ向かうべく時空結節点へ飛び込んだ。ところが、その先にあったのは、21世紀初頭の地球だった。つまり、我々にとっての「今」に近い地球である。
この時代であれば、まだガミラスもイスカンダルも健在である。そして、ヤマトならそこへ行ける。ならば、ガミラスやイスカンダルを救い、歴史を変えてしまえばよいのではないか。そう考えた若手の一派が、ヤマト艦内で反乱を起こす。
この反乱は、単なるクーデターではない。ある意味では、とてもヤマトらしい反乱である。「救えるものであれば救いたい」という思いから生まれているからだ。
だが、その思いは同時に危険でもある。過去を変えることは、これまでの出会いや犠牲や選択を、すべて別のものにしてしまうことでもある。
ヤマトは、失われたものを取り戻すために飛ぶ船である。しかし同時に、失われたものを「なかったこと」にしてよいのか、という問いも背負っている。ここが第六章の大きな軸になっていた。
マザーの狙いと黒いヤマト
第六章は、複数の場面がクロスオーバーしながら進んでいく。そのため、ここからは物語の順番そのものよりも、論点ごとに感想をまとめていきたい。
どうやら、ヤマト艦内の反乱そのものも、デザリアムのマザーが仕組んだものだったらしい。マザーの狙いは、ヤマトに搭載されたイスカンダル純正の波動コアである。
しかも、ただ奪うのではない。人間の思いをコアメダルを通じて波動コアに集約させ、その力を十全に発揮させようとする。つまり、乗組員たちの「歴史を変えたい」「失われたものを救いたい」という強烈な思いを、波動コアへ流し込むわけである。
その結果、波動コアは黒く染まり、ヤマトそのものも黒いヤマトへと変貌する。第五章で周辺の聖域を寒冷化させていた「ウラリアの魔女」の正体でもある。そして黒いヤマトは、時空を引き裂くような砲撃を開始する。これはかなり強烈な絵だった。
ヤマトは本来、未来へ進むための船である。しかし黒いヤマトは、過去を引き裂こうとする船になる。救済の船が、執着によって破壊の船へ変わってしまうのである。
波動エネルギーは、2199の時点から、単なる科学技術ではなく、星のエレメントや人の思いと結びついた謎めいた力として描かれていた。今回はそこへ、かなり正面から踏み込んできたように見える。「波動エネルギーとは、人の思いが集まって生まれるエネルギーである」――そういう方向へ、かなり明確に舵を切っている。
これは面白い。だが、危うくもある。
波動エネルギーは、完全な科学でも、完全なオカルトでもないところがよかった。計器で測れるエネルギーでありながら、最後のところでは祈りや星の意志に触れている。そこにヤマトらしい神秘があった。だから、あまりに説明を加えすぎると、その神秘が小さくなってしまう危険もある。
旧作の曖昧さや余白に、どうしても理屈を与えたくなる。それがハマれば見事な再構成になるが、やりすぎれば基本設定の上書きになる。これは福井氏の癖だが、その癖が人の情へ向かうときは作品を深め、世界設定の根幹へ向かうときは作品を痩せさせる危険をはらむ。波動エネルギーの正体に正面から理屈を与えにいった今回の踏み込みは、まさに後者の危うさを抱えていたと思う。
サーシャを引き戻す「家族だからさ」
黒いヤマトの中心にいたのは、サーシャである。
サーシャはスターシャと古代守の娘であり、旧作『ヤマトよ永遠に』でも重要な役割を担った存在である。REBEL3199では、幼いサーシャがデザリアムに連れ去られ、17歳の姿でヤマトに戻ってくる。いわば、マザーの思惑でヤマトに送り込まれた存在だった。本作のメインビジュアルであるポスターで、サーシャがデザリアム側のコスチュームを着ていたことにも、そういう意味があったのだろう。
彼女はデザリアム側の仕掛けとして送り込まれていた。しかしその中には当然、イスカンダルの血と記憶がある。そのサーシャが、ヤマトの純正波動コアを黒化させるための媒介として利用される。
ここで良かったのが古代進である。古代は、反乱軍をただ力ずくで止めようとはしない。黙って反乱軍についていく。サーシャが「どうして?」と尋ねると、古代はこう答える。
「家族だからさ。いつまでも君のそばに居る」
この一言が非常に効いている。反乱軍の思いは、「過去を変えたい」という執着へ傾いている。それに対して古代の言葉は、「君をひとりにはしない」という現在の愛情である。
スターシャやユリーシャの霊体が現れ、サーシャを引き戻す。そこに古代の「家族だから」という言葉が重なる。
設定としては壮大である。波動コア、時空結節点、マザー、コアメダル、黒いヤマト。しかし、最後にサーシャを止めるのは理屈ではなく、家族の言葉である。ここは実にヤマトらしい。そして、福井氏の理屈っぽさが、よい意味で情に着地していた場面だと思う。
旧作の「偽地球」をどう置き換えたか
今回の展開を考えるうえで重要なのが、旧作『ヤマトよ永遠に』である。
旧作では、ヤマトが敵母星と思われる星へ到着すると、そこには地球そっくりの星があった。スカルダートは、暗黒星団帝国は未来の地球であると告げ、ヤマトを精神的に追い詰める。しかし、それは偽の地球だった。つまり旧作には、「偽地球」という大きな仕掛けがあった。
本作では、この偽地球の構造が、かなり大胆に置き換えられているように見える。旧作では、偽地球は敵母星の表面偽装だった。今回は、ヤマトが迷い込んだ「21世紀初頭の地球らしき時空」そのものが怪しい。
本当に過去の地球なのか。デザリアムが作った時空なのか。マザーがヤマトの記憶と感情を利用するために用意した迷宮なのか。この疑いが、物語全体に漂っている。
さらに、サーシャとアナライザーが地球へ降り、海底深くへ向かうと、そこには不思議な空間がある。そしてそこには、デザリアムでサーシャを育てた新見さんがいる。これもまた、旧作における敵中枢、あるいは偽地球の内部に相当する場所なのだろう。
旧作では、サーシャは敵母星に残り、ヤマトを内部へ導く存在だった。今回のサーシャは、デザリアムに利用されながらも我に返り、今度は自分を育てた新見さんのいる深部へ向かう。
旧作の要素をそのままなぞるのではなく、REBEL3199のテーマである「記憶」「家族」「自己決定」「偽りの歴史」に合わせて再配置している。この置き換えはなかなか上手い。
地球側の抵抗と、銀河の波動砲ラムアタック
一方、地球側でも動きがある。旧ヤマト関係者の面々を中心としたパルチザンが、地球上のデザリアム要塞グランドリバースを破壊しようと決起する。そこには、本来デザリアム側の人物であるアルフォンも協力している。
しかし、計画はすでに敵に察知されており、南部たちは拘束されてしまう。地球上の抵抗は、ここでいったん停滞する。
一方で月面では、波動実験艦銀河の奪還に成功する。それも前武装が使用可能な状態で。そして銀河は、地球の周囲にいるゴルバを撃破する。この戦闘が、今回数少ない大きな戦闘場面だった。
ただし、普通の波動砲ではない。デザリアムのゴルバは波動エネルギーに弱いが、位相エネルギーによって通常の波動砲を無力化できる。そこで銀河は、波動砲を槍のようにし、艦体を波動防壁で覆い、体当たりでゴルバをぶち抜く。要するに、キャプテンハーロックのアルカディア号がやっていたラムアタックの波動砲版である。
波動砲を撃ったと言ってよいのか、少し迷う。発射したのはビームというより、銀河そのものだからである。だが、戦闘の見せ場としては非常に面白かった。第六章は戦闘シーンが少ないが、この一点に戦闘のカタルシスを集約していたと言える。
地球上の作戦は失敗しつつある。しかし、月面の銀河奪還は成功する。ヤマト本艦では、黒いヤマトの危機を乗り越える。成功と失敗を混ぜながら、最終章に向けて盤面を整えていく。第六章は、そういう構成になっていた。
マザーによる記憶支配とアルフォン
今回、デザリアムの恐ろしさもかなりはっきりしてきた。マザーは、デザリアム人の記憶すら随時書き換えているらしい。これは単なる独裁や監視ではない。
自分が何者であるか。誰を愛したのか。何を信じているのか。なぜ戦っているのか。そういったものすら、マザーによって編集され得るということだ。
アルフォンはそのことに気づき、マザーとつながる装置であるコアメダルを外してしまう。この行為は、単なる裏切りではない。自分の記憶と意思を、自分自身のものとして取り戻す行為なのだろう。
旧作のアルフォンは、敵でありながら人間的な情を持つ男だった。今回のアルフォンは、さらに踏み込んで、マザーの記憶支配から自己を取り戻そうとする男になっている。そして、この記憶支配のテーマは、サーシャ、新見さん、斉藤始、加藤三郎の物語にもつながっていく。
加藤真琴の場面が良かった
地球側の話で特に良かったのが、加藤三郎の妻・真琴と藤堂信乃との場面である。
加藤三郎は、2202で戦死した人物である。彼はかつて、息子の病気を治すための薬をガトランティスのズォーダーから提供される約束を受け、ヤマトを裏切ったことがある。軍規上は、明らかに利敵行為である。そこだけを見れば、言い訳の難しい過去である。
藤堂信乃(デザリアム側に協力する地球防衛軍の高官であり、藤堂平九郎の妹)が、その過去を暴露すると恫喝し、真琴を利用しようとした。しかし真琴は、それをきっぱり拒絶する。ヤマトを裏切ってまで息子を愛した夫を、私は心から愛している――この趣旨の言葉が非常に良かった。
罪は罪である。しかし、その愛まで罪にしてよいのか。真琴は、夫の罪を否定しているのではない。そのうえで、夫が息子を愛したことを、そんな夫を自分は愛していると言い切る。これはかなり強い。
マザーは記憶を書き換える。脅迫者は記録を使って人を支配しようとする。それに対して真琴は、自分の記憶と愛によって、それを拒む。この場面は、第六章全体のテーマと深く響き合っていたのではないだろうか。
そして、ここで思い出したいのが、黒いヤマトの件で述べた福井氏の癖である。あのとき私は、福井氏の理屈付けが、世界設定の根幹へ向かうときは作品を痩せさせる危険をはらむ、と書いた。だが同じ癖が人の情へ向かったとき、それはこの加藤真琴の場面のように作品を深める。波動エネルギーの正体に理屈を与えにいった筆と、夫の罪と妻の愛を切り分けてみせた筆は、同じ作家の同じ性質から出ている。第六章は、その癖の危うい面と豊かな面とが、一本の作品の中に同居していた章だったのだと思う。
2202は正直、評判が良いとは言いがたい。私自身も、あまり好きではない。しかしこの場面を見ていると、福井氏が「2202にも拾い上げるべきものはあっただろう」と言っているようにも感じる。少しは2202も見直してよ、という福井さんの声が聞こえるようだった。まあ、全部を見直すかどうかは別として、この加藤真琴の場面は確かに良かった。
斉藤始と、福井氏のかつてのやり過ぎポイント
一方で、斉藤始のご先祖らしき人物も登場する。ただし、今回の物語構造を考えると、それが本当に斉藤の先祖なのかどうかは、今のところかなり怪しい。
ここで思い出すのが、2202における斉藤始の扱いである。2202の斉藤は、ガトランティスによって再生された存在だった。いわば、生前の記憶も人格も持つゾンビのような存在であった。かなり残酷な設定である。自分は本当に自分なのか。自分の記憶は本物なのか。敵に再生された存在であっても、仲間として戦えるのか。作り手の言いたいことは分かる。長倉の言葉も感動的だ。しかし、斉藤に背負わせるには重すぎた。
斉藤始というキャラクターは、本来もっと単純で、泥臭く、乱暴で、しかし最後には頼りになる男でよかったのではないか。そこへ「自分は本当に自分なのか」という存在論まで載せてしまうのは、2202における福井氏のやり過ぎポイントの一つだったような気がしてならない。
今回の斉藤のご先祖らしき人物も、もし2202の斉藤と同じような「由来の怪しい斉藤的存在」だったとしても、今回はまあ見逃してもいいかな、という気はする。なぜなら、第六章全体が、記憶や人格や本物性をめぐる物語になっているからである。本物か偽物か。記憶は誰のものか。作られた存在に宿った心は偽物なのか。その問いは、サーシャにも、アルフォンにも、新見さんにも、デザリアム人にも関わっている。
その文脈であれば、この斉藤のご先祖的存在が出てくることにも意味はある。ただし、やり過ぎは勘弁してほしいところである。
まとめ 第六章の意義
今回の第六章は、派手な戦闘で押す章ではない。むしろ、カタルシスはあるようでない。
銀河のゴルバ撃破は派手だが、地球上のグランドリバース攻略は頓挫している。サーシャは戻ってくるが、デザリアム本星がどこなのか、マザーの本丸はまだ健在である。アルフォンはマザーの支配から外れるが、南部たちは拘束される。黒いヤマトは止まるが、時空の迷宮そのものが解けたわけではない。
つまり、「勝った」という章ではない。「ようやく敵の仕掛けが朧げながら見えてきた」という章である。だが、最終章の一つ前としては、それでよいのだと思う。むしろ第六章では、これまでの要素を整理し、最終章で何を決着させるべきかを明確にする必要があった。その役割は十分に果たしていた。
比喩的に言うならば、第六章は、風呂敷を新たに広げる章ではない。次の第七章でしっかり畳むために、折り目をつける章だった。第六章だけで完結した満足感はない。しかし、最終章を観るための準備としては、かなりしっかりしている。
サブタイトルは「碧い迷宮」である。迷宮の中で、ようやく出口の方向が見えてきた。そんな章だった。そして、ここまで来た以上、第七章にはきっちり決着をつけてもらいたい。期待と不安を抱えつつ、「第七章 虹色の輪廻」を待つことになった。