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「ゴジラ-1.0(ゴジラマイナスワン)」に出てきた兵器について大雑把に解説

 「ゴジラ-1.0」は公開初日の朝イチの回に鑑賞して、先週はDolby Cinemaで再び鑑賞。いや、面白いです。好きですねー、この映画。まだリピートしてしまいそう(笑)

 初めて観て最初に仲間内へ書いた感想が次のような感じです。「面白かった。震電カッコいい! 四式中戦車か、あれは?もっと映せよ。重巡高雄が前座とはなんと贅沢な! ゴジラである以上はクロスロード作戦(ビキニ環礁での核実験)の後なので戦艦長門が出ないのはやむを得ないか。にしても、駆逐艦雪風と響の活躍。あのシーンで初ゴジのOP曲(本来は人間側の曲)が流れたのには超燃えた」

 誰がどうみてミリオタな感想ですな。むろん、ゴジラ-1.0の良いところはそこだけではないのは言うまでもありませんが、初見のミリオタとしては、どうしてもそこに目が行ってしまうわけです。しかし、パンフレットを見ても、そこらの説明が全く無い。それはいかんでしょ。ということで、これは、それを自分で書いてしまおうというものです。ものすごく大雑把ですけどね。一般の人向けの解説として、パンフには最低限この程度の解説は欲しかったなという趣旨のものです。もっと詳しく知りたい人は、Wikipedia あたりで検索してみると良いでしょう。

 

1.震電

 さて、まずは「震電」について。クライマックスで大活躍する機体です。実に珍しい形態の戦闘機です。こんな戦闘機が本当に日本にあったのか、そう思う人が多々いたようですが、それも無理ないかと。ジェット機ならともかく、レシプロ機(プロペラ機※)ではあまり見ないスタイルです。

 尾翼に相当する小翼が前、機首にあって、エンジンとプロペラが後ろにある。これは、第二次大戦末期に日本海軍が試作した戦闘機で、最高速度400ノット(約740km/h)を目指して開発され、試作機が完成して試験飛行をしたところで終戦になりました。完成した試作機はアメリカへ運ばれたそうです。組み立て中の部品は海軍の命令で焼却されたらしいですが、どさくさにまぎれて1機分残っていたとしても面白い。とにかく、どんな事情にしろ、映画の舞台である昭和22年の日本にあってもそれほどおかしくはない機体なのです。

 さて、どうしてこんな形をしているのか疑問を持つ人は多いでしょう。まず、エンジンを後ろにすることで、空気抵抗を減らすことができ、それは高速化に資するのです。そして、エンジンが後ろにあるため前部にスペースができ、そこに武装を積めるのです。震電は、口径30mmの機関砲を4門も装備していた。単発戦闘機の武装としては最大級でしょう。映画では、その内の2門を外し爆弾を装着しました。ちなみに当時の日本の戦闘機が一般的に装備していたのは20mm機関砲(海軍では機関銃という)です。その1.5倍の直径の弾丸を大量に叩き込もうというのです。特に大戦末期に大日本帝国を悩ませたのは超空の要塞B-29です。こいつは実に頑丈な機体でしたから、撃墜するためにできるだけ大口径の機関砲で弾を大量にぶちこみたかったのです。また、零戦や疾風等の単発の戦闘機では20mm機関砲は主翼に装備されていましたが、やはり機首に装備した方が命中精度は良くなります。

 もう1つの特徴は、前部小翼です。こういう形をエンテ型といいます。前部小翼のことをカナード翼と呼んだりもします。通常の尾翼は、上昇時には尾部を押し下げることになるので揚力にとって、それはマイナスになります。しかし、前部小翼であれば、上昇時に揚力を発生させることができるので、上昇性能が良くなるのです。また、飛行機は失速することがありますが、前部小翼ならば、先に前部小翼が失速することになるので、後ろにある主翼が失速する前にそれを対処しやすくなるという利点がありました。

 震電とは、それまで格闘戦を重視した従来の日本の戦闘機とは異なり、高速で接近して大口径の機関砲をぶち込み、とっとと逃げるという一撃離脱戦法に特化した機体だったのです。

 ところで、劇中の震電には脱出装置として射出座席が装備されていました。劇中で野田が、脱出装置もない戦闘機で命を軽視している、という趣旨の発言がありましたが、当時の航空機で射出座席を装備した機体は他の国でもほとんどなく、ドイツでドルニエDo335などごく一部に装備されていただけでしたから、その台詞自体はやや正確さを欠きます。脱出装置というものを観客に意識させるための台詞だったのでしょう。ちなみに、このドルニエDo335は機首と機体の後ろの2箇所にプロペラがあるという、これもまた珍しい形態の機体です。劇中の震電に装備された射出座席は、そのドイツから技術供与されたサンプルを搭載したものと思われます。

 なお、後ろにプロペラがあるのに射出座席がないと脱出できないじゃないかと思われるでしょう。自力でコクピットから飛び降りようとすると後ろのプロペラに巻き込まれてしまいますから。そこで、震電には脱出時にプロペラを吹き飛ばす機能を付与する予定だったそうです。劇中では射出座席がありましたので、その機能は付けられていませんでしたが。

 

2.重巡洋艦高雄

 さて、次は、主人公敷島らが乗った新生丸が初めてゴジラに遭遇し、あわやという時にその危機を救った重巡洋艦高雄についてです。高雄は戦艦ではなく巡洋艦です。戦艦とは、大和やアイオワに代表されるように、大口径の主砲を搭載し、重装甲で、できるだけ遠距離から敵艦を砲撃してこれを沈めようという主力艦です。もっとも、第二次大戦では主力艦の座は航空母艦に移ってしまいましたが。それはともかく、巡洋艦は、戦艦ほど大口径の砲は積まず、重装甲ではないものの、やや小型で高速な軍艦です。もっとも、時代や国によって定義は様々なのですが、ゴジラ-1.0を楽しむ上では、概ねこんな理解で十分でしょう。

 大きさを比べると、例えば戦艦長門は、全長224.94m、最大幅34.6m、基準排水量39,190トンであるのに対し、映画に登場した改装後の重巡高雄は全長203.76m、最大幅20.73m、基準排水量11,350トンである。戦艦に比べかなりスマートです。巡洋艦は、高速であるため航空母艦の護衛に適しており、太平洋戦争では日米共に戦艦よりも出番が多く、実際に活躍もしました。

 なお、巡洋艦には重巡洋艦と軽巡洋艦とがあります。要するに大きめの巡洋艦と小さめの巡洋艦です。大戦中の日本海軍の重巡洋艦は排水量が概ね8,000トンから13,000トン程度で、軽巡洋艦のそれは4,000トンから8,000トン程度でした。主砲は、重巡が概ね20cm連装砲、軽巡が15cm連装砲といったところでしょう。

 そして肝心の重巡洋艦高雄です。

 全長203.7m、最大幅20.7m、排水量13,400トン。最大速度34ノット、主砲には20.3cm連装砲を5基(20.3cm砲10門)装備しています。同型艦の愛宕、摩耶、鳥海と共に連合艦隊の中核をなし、太平洋戦争においては縦横無尽に働きました。そして、終戦時には、シンガポールにおいて妙高と共に行動不能となって係留されていました。史実では、イギリス海軍に接収され、1946年10月29日に自沈処分となりましたが、劇中では、何らかの理由でそれが延期され、ゴジラ対応のため日本軍に返還、修理されて完全武装の状態で内地へ回航する際にゴジラと遭遇したものと思われます。その主砲20.3cm砲は、当時ゴジラに対抗しうるほぼ唯一の巨砲だったのではないでしょうか。そして、これを至近距離からゴジラに撃ち込むシーンには燃えました。高雄が登場したときの、敷島達の安堵感はいかばかりかと。しかし、ゴジラには大きなダメージは与えられず、ゴジラの放射熱線によって高雄は破壊され海底へ沈んでしまいました。このシーンは、対ゴジラ兵器の真打ちがいきなりやられてしまったようなもので、絶望感は相当のものだったでしょう。

 

3.駆逐艦雪風、響、夕風、欅

 お次は駆逐艦雪風、響(ひびき)、夕風、欅(けやき)です。駆逐艦とは、そもそもが艦隊を襲う水雷艇を駆逐するための大型水雷艇が起源で、駆逐するための艦ということで駆逐艦と呼ばれました。雷装(魚雷による武装)が主武装の比較的小型の高速艦です。後に防空、対潜装備も備えられるようになりました。戦艦や巡洋艦の同型艦は概ね多くて4隻前後といったところですが、駆逐艦は事情が異なります。例えば、雪風は陽炎型駆逐艦の8番艦ですが、陽炎型は19隻が建造されています。欅は松型駆逐艦ですが、松型はその改良型である橘型も含めれば32隻も建造されています。言ってしまえば駆逐艦は消耗品であるため、大量生産されていたのです。そのせいかどうかは解りませんが、駆逐艦は規程上狭義の軍艦ではなく、戦艦や巡洋艦と異なり艦首に菊のご紋がありません。それでも、駆逐艦は連合艦隊の艦艇として他の艦艇に勝るとも劣らない活躍をしました。

 そんな大量に作られた駆逐艦の中でも、最も有名な駆逐艦が雪風でしょう。1964年(昭和39年)には松竹でズバリ「駆逐艦雪風」という題名の本艦が主役となる劇映画が製作されています。また、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」にも宇宙駆逐艦「ゆきかぜ」が登場し、その名の由来は、この駆逐艦雪風です。そして、本作「ゴジラ-1.0」でも、対ゴジラ海神作戦において雪風の元艦長が実質的に作戦の指揮を執っており、同艦も活躍しています。何故これほどまでに雪風が有名であるのかと言えば、それは開戦当初より数多の激戦をくぐり抜け終戦まで生き残った「奇跡の駆逐艦」だからです。

 陽炎型駆逐艦は日米開戦時において新鋭艦であったため、主力駆逐艦として全19隻が開戦当初から連合艦隊に配属され、太平洋を縦横無尽に駆け回りました。同時に損害も大きく、全19隻中18隻が戦没しています。その唯一生き残った陽炎型駆逐艦が雪風なのです。あの戦艦大和が沈んだ坊の岬沖海戦からも生還しています。その武名は、当時から海軍内で知られていました。そんなわけで、駆逐艦のスターと言っても良いのがこの雪風なのです。

 雪風の諸元は次のとおりです。全長118.5m、最大幅10.8m、排水量2,100トン。最大速度35.5ノット、終戦時の兵装は、12.7cm連装砲2基、25mm3連装機銃5基、25mm単装機銃14基、四連装魚雷発射管2基、九四式爆雷投射機が1基です。対空、対潜能力が付与されています。先に紹介した高雄と比べて、かなり小型であることが伺えます。

 劇中の雪風は、海神作戦時、駆逐艦響と共にゴジラにフロンガスのボンベを巻き付ける役割を負って出撃します。両艦が作戦を開始するシーンには、伊福部昭作曲の初代ゴジラのOPタイトルが流れます。そのカッコイイこと。初代ゴジラのOPタイトル曲であることから、ゴジラの主題として理解されている方もいます。でも実はこの曲、昭和29年の初代「ゴジラ」を観れば解りますが、本来は人類側のテーマなのです。ゴジラに立ち向かう人間を鼓舞する曲なのです。ドシラ、ドシラのメロディーが雪風と響が進撃するシーンに流れるのは、その本来の姿と言えるのです。

 さて、駆逐艦としては、他にも響、夕風、欅が出てきます。

 響は、吹雪型の22番艦です。響も最後まで生き残ったことから「不沈艦」として知られています。激戦をくぐり抜け生き残った艦ということで、賠償艦として、雪風は中華民国に、響はソ連に引き渡されました。それぞれ「丹陽」「ヴェールヌイ」と改名され戦後も働き続けました。

 夕風と欅ですが、彼らも終戦時に生き残っていたのですが、雪風や響とはやや事情が異なりました。夕風は、峯風型駆逐艦の10番艦なのですが、この峯風型は大正時代に就役しており、夕風は大正10年(1921年)に竣工したという旧式艦だったのです。そのため、大戦中は概ね後方任務に就いており、最前線に赴くことがほぼないまま終戦を迎えることとなったのです。他方、欅はその逆でした。欅は松型駆逐艦の18番艦です。この松型はいわば戦時急造型で、欅が竣工したのは昭和19年(1944年)12月なのです。考えようによっては最新艦。しかし、竣工時には既に連合艦隊は壊滅状態にあって、外洋に出撃する機会がないまま終戦を迎えたのです。

 

4.四式中戦車

 四式中戦車。ある一定以上の年齢の方には、松本零士の戦場まんがシリーズの一編「鉄の墓標」でその存在を知った方もいらっしゃるのではないでしょうか。ゴジラ-1.0では、ほんのワンシーンだけ登場しました。

 日本の戦車は総じて火力が低く、主力の九七式中戦車では米軍の主力戦車M4シャーマンを撃破することが困難で、軽戦車のM3スチュアートにすら苦戦する始末でした。海に囲まれた日本では、開発と生産はどうしても艦船と航空機に注力せざるを得ず、装甲戦闘車両の近代化や陸上部隊の機械化が遅れがちだったからです。また、大陸で対峙している中国軍が戦車などの装甲戦闘車両をほとんど装備していなかったため、長く戦車は歩兵支援の兵器とされていたこともその要因のひとつでしょう。

 そんな日本の戦車の中で、初めて当初から対戦車戦闘を念頭に置いて開発されたのが、この四式中戦車です。むろん、主力であった九七式中戦車も対戦車能力を向上させるための改良もされましたし、三式中戦車も対戦車戦闘を想定して開発されました。しかし、三式中戦車は、九〇式野砲をベースとした三式七糎半戦車砲(38口径75mm砲)を搭載した大きな砲塔を、九七式中戦車の車体を限界まで拡張した車体に載せたものであり、やや急造の感は免れないものでした。本格的な対戦車砲として期待されたのは、ボフォース社製の75mm高射砲をベースに開発された五式七糎半戦車砲(56口径75mm砲)でした。これを新設計の車体に搭載したのが四式中戦車です。装甲も最大75mm厚と、中戦車としては世界水準に達するものとなっていました。これで、M4シャーマンと正面から渡り合える戦車となったのです。しかし、試作車両が2両完成し、試験が行われたところで終戦を迎えました。もっとも、諸外国で大戦末期に実用化されていた、ケーニヒス・ティーガー、JS-2スターリン、M-26パーシング、センリュリオンといった強力な車両に比べれば見劣りするものであるのは否めない事実です。

 四式中戦車については量産計画が存在していました。そして量産時の図面も見つかっており、そこから、ファインモールドという模型メーカーからは、完成した試作型の他に量産型と2種類の四式中戦車が1/35スケールのプラモデルとして製品化されています。車体前面の装甲がやや傾斜していることから、劇中に登場したのは量産型と思われます。おそらくは、まだ残っていた四式中戦車の生産ラインを稼働させ、急ぎ完成させた車両がゴジラ迎撃に出動したというところなのでしょう。

 劇中では、銀座を蹂躙するゴジラを迎え撃つため、国会議事堂前から数両が砲撃を加えました。その砲撃に怒り狂ったゴジラは、あの放射熱線をブッ放します。おそらく国会議事堂前の四式中戦車を狙ったものでしょう。爆炎と爆風が周囲を覆い尽くし、ヒロイン典子を吹き飛ばすと同時に、街を瓦礫の山へと変えました。四式中戦車の一斉射の代償はあまりに大きなものとなったのです。

 

5.その他

 他にも、多くの兵器が登場しました。冒頭、大戸島の守備隊基地に降り立った敷島少尉が乗っていたのは、零式艦上戦闘機です。推力式排気管だったので52型でしょう。52型も武装の違いによりいくつかの型に分かれますが、そこまでは確認できませんでした。零式艦上戦闘機、いわゆる零戦については多くを語る必要はないでしょう。日本海軍が誇る傑作艦上戦闘機です。もっとも、後継機の開発が遅れ、終戦まで本機が主力とならざるを得なかったため、新型米軍機に対して非力さは免れず、戦争後半には劣勢を強いられました。

 また、海防艦の姿もありました。海防艦とは、沿岸警備のための艦艇です。旧式の戦艦や巡洋艦が海防艦として用いられたこともありましたが、ここでは占守型海防艦以降の日本の海防艦を指します。駆逐艦より小型の沿岸警備用の艦艇です。魚雷は装備していませんが、対潜のため爆雷は装備していました。映画に登場したのは、占守型よりも小型の丙型海防艦か丁型海防艦あたりかと思われます。丙型/丁型海防艦は各々200隻超と大量に建造され、終戦時にもかなりの数が残存していました。全長が70m弱で最大幅が約8.5mの大きさです。

   その大きさから、沿岸に船体が投げつけられていたのは丙型/丁型海防艦かと最初は思ったのですが、予告編をよく見ると、あの舳先の尖り具合は海防艦ではなさそうで、もう少し小ぶりの艦艇のように見えます。そして、13号型以降の駆潜艇の舳先の尖り具合が似ています。駆潜艇とは、水中聴音機や爆雷を備えた対潜水艦用の艦艇です。ゴジラの接近を探査するために沖に出てて襲われたのかもしれません。(※2)

 他に映像で確認できたのは則天型敷設特務艇です。チラとしか映らないので確認できませんが、舷側に艦名が書かれてるはずです。敷設特務艇とは、海上に機器を敷設する船ですが、主に機雷の敷設を目的として作られたものです。ゴジラの接近を探知するための水中機器を敷設するために用いられたのでしょう。

 そして、兵器とは呼べないかもしれませんが、本作で最も活躍したのは「新生丸」でしょう。佐々木蔵之介演じる秋津艇長のもと、敷島、野田、水島らがこの木造船でゴジラに遭遇し、逃げるために知恵を絞って戦うその姿は、まさにゴジラに対峙しなければならないゼロとなった終戦直後の日本そのものだったといえるでしょう。

 

 以上、ヌルいミリオタとして、ゴジラ-1.0に登場した兵器をごく簡単に解説してみました。

 なお、劇中に登場した兵器については、2回劇場で鑑賞した記憶と、ネット上で見られる予告編やパンフレットの写真等で確認しただけですので、間違いも無きにしも非ず、その点はご容赦ください。制作側からのより正確で詳細な解説を待ちたいところです。




※ 細かい事ですが補足です。レシプロエンジンを装備した飛行機はプロペラ機ですが、プロペラ機が必ずしもレシプロ機という訳ではありません。

※2 2023年12月3日にこの段落を加筆修正しました。参考:世界の艦船2023年8月増刊「日本軍艦史」291-292頁)