ノリパーのブログ
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『ペリリュー 楽園のゲルニカ』を観て

「ペリリュー 楽園のゲルニカ」を公開後まもなく鑑賞してすぐにこの文章を書いたのだが、諸事に取り紛れブログにアップするのを失念してました。その時に書いたものをそのままアップします。

映画を観たあと、感想が他人に語るほど整っていなくても、何かを書いておかないと自分の感性が鈍っていく気がする。そんなわけで、とりあえずこれを書いている。以下、思いついたままに、勢いで「ペリリュー 楽園のゲルニカ」について書き進める。

『ペリリュー 楽園のゲルニカ』は、1944年(昭和19年)のペリリューの戦いという史実を土台にしたフィクションで、3頭身のキャラクターによって描かれるアニメ映画だ。 戦争を扱っているが、いわゆる「熱く燃える映画」ではない。かといって、切なさを前面に出して、観客を泣かせにくるタイプの作品でもない。だが、その代わりに、とても誠実で、堅実で、そして力強い映画だといえる。

描かれているのは、戦争全体の構図でも、英雄的な活躍でもない。ただ一人の一兵卒、田丸均一等兵が、ペリリュー島という楽園で見て、感じて、生き延びようとした世界だ。視点は終始低く、狭く、限定されている。だからこそ、楽園が戦場と化した現実がやけに生々しく感じられる。
この作品で特に印象に残るのは、劇中の誰かを否定する視線がほとんどないことだ。 登場人物たちの愚かさも、彼らが抱く恐怖も、葛藤も、希望も、すべてが「その時代、その場所を生きた結果」として描かれているだけだ。愚かしさや悪を憎んだり裁くことなく、ただただ、そこにある痛みを見つめる。この姿勢が、この映画をとても信頼できるものにしている。

3頭身のキャラクターという表現も、単なる“可愛さ”のためのものではない。むしろ、そのデフォルメがあるからこそ、実写では正視しづらい凄惨な戦闘シーンや、戦争の理不尽さが、まっすぐに届く。かわいらしさと残酷さの落差が、観る側に逃げ場を与えないのだ。
そして、この映画は、分かりやすい盛り上がりを用意していない。評価が分かれるとしたら、そこかもしれない。分かり易い娯楽作品ではないのである。 だが、主体的に作品に向き合う姿勢で観ると、強く静かな余韻が長く残るだろう。観終わったあと、じわじわと効いてくるタイプの映画となっている。
最近観た『DUNE/デューン 砂の惑星』(PART2も含む)は、圧倒的な映像によって一定の満足感は得られるものの、物語としては“腹いっぱい”にはならない作品だった。 主人公ポールが負う運命の怖さは感じるが、それが必ずしも作品の中で消化されるわけではなく、意図的に飢えを残す構造になっている。 それに対して、古典ではあるが『七人の侍』は、腹いっぱいになる映画だ。この作品のどこが良いのかと聞かれれば、残念ながらここでは、結局「全部」としか言えない。キャラクターもストーリーも時間も、一本の映画として完全に消化されている。観たものに満足感を与える。
これらの作品と異なり、本作は腹八分目の余韻を残してくれるの映画なのだ。

「傑作」や「名作」という言葉は、その場で決めるものではなく、時の流れの中で定着していくものだと思っている。だから今、この映画を名作だと断言するつもりはない。 ただ、誰も否定せず、その時代を精一杯生きた人たちの痛みを、ここまで誠実に描ききった映画は、そう多くない。 派手ではないが、確かな強度を持った佳品であり、後になって評価が深まっていく可能性を十分に感じさせる作品だと思う。

とりあえず、今の時点では、そう書き留めておきたい。

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