今でも自分がこうして普通にしていることが信じられません。

10月18日、呼吸器内科からの紹介で外科に行きました。
大腸がんからの転移は分かりましたが、手術は出来ないそうです。
要するに末期も末期なのでしょうね。

抗がん剤治療を進められましたが、夫はそれを拒否しました。

そして、告げられたのが、抗がん剤治療をしても3年、何もしなければ1年。
これが、夫の余命でした。

医師いわく、来年のオリンピックが見られれば良いですね…。

もしも、抗がん剤治療しても三年の余命ならしなくていい、好きな事をして一年でいいから過ごしたい、と夫は言いました。

医師は私の方を見て、奥さんの意見は?と聞きました。

私は、一年や、三年では嫌です。
手術して、癌を取って欲しいのが希望です。
しかし、手術が出来ない状態ならば抗がん剤は本人がしてもいいって言うならしてほしい。
でも副作用で苦しむのならかわいそうです。
他に選択肢がないなら夫の好きなようにさせてください。
と答えました。

医師は、分かりました、
ご主人の肺がんは進行が遅いと思われますので様子を見ながら、2ヶ月後にレントゲンを取りにまた来て下さい。
2ヶ月のうちに考えが変わり、抗がん剤治療をしてもいいとなったら申し出てくださいね。
と言いました。

私達は、まだ信じられないです。
こんなに夫は元気なのに、あと一年で亡くなってしまうなんて。

病院を出て、お昼でも食べようか、ってことになり、そうだ、昔に良く行っていた喫茶店が場所は変わっているがまだ営業していると聞いたので行ってみようか。

何故か私は昔を思い出していました。
二人で良く行っていたお店が浮かびました。

私達が20代の頃、駅前にあった喫茶店
ニユーシャルム
駅前開発で移転したが、美味しいコーヒーと軽食を出すお店でした。
確か、ナポリタンとか、グラタンが美味しかった記憶があります。
友達とは、良くプリンアラモードを頼みました。

今では、当時のマスターはたぶん70代後半になっているでしょう。
店内に入ると、昔の店の面影はまったく無いほどの作りになっていましたが、同じ二階で窓から外の景色が見えました。

夫はナポリタン、私はハンバーグステーキを頼み、コーヒーを付けました。

マスターに昔は良く立ち寄っていたんですよ、と話しましたが、45年以上前ですからね〜
あの頃は、一番繁盛していた頃ですね、と懐かしく話してくれました。

夫も私も今、病院で余命宣告をされて、食欲もないはずなのに、人間の体は不思議ですね。
美味しいものを前にすると、ちゃんと食べられるのですから。

これからどうなるのか、痛みはいつ頃出てくるのか、寝込んでしまうのか、、、
本当に一年の命なのか!

夜、息子に一部始終を話しました。
黙って聞いていましたが、ショックだったことでしょう。
小さい頃から父親っ子でした。
男同士だからか、ベタベタではなくサラッとした関係ですが、口うるさい私よりも慕っていました。

息子が部屋に行ってから、少し夫と話しました。
落ち着いてきたから本音が出たのか、あと一年は辛いな。
何か方法はないのかな。

私は、思いきって言ってみました。
別な病院に行ってみない?
肺に転移した癌は肺がんとは呼ばずに、転移性肺腫瘍と呼ぶそうです。
これはネットで調べました。

そして、別な病院なら、もしかしたら手術が出来る病院もあるかもしれない。
癌センターが各県にあるし、やはり専門の病院に行ってみない?と話してみました。

夫はまだ症状が血痰だけで、確かにCTには腫瘍があるのは分かったが、実感として本当に一年の命なのか、
信じられない。
確かに医師はあまり説明はしてくれませんでした。

たぶん、夫も聞きたいことの半分も聞けずに、余命宣告を受けて、頭が真っ白になったんだと思いますが、医師も私達にあまりにもあっさりと、あと一年です!と言うのは、私に言わせたら配慮が無さすぎます。

夫は何も言いませんが、私は医師も病院にも不信感を持ってしまいました。

二人で考えて、取り敢えず、最初のかかりつけの病院に行ってみようと思います。

何かしら、他の方法、例えば手術が出来る病院を見つけてくれるとか、きっと何かある、
きっと、何かあると信じて。














10月3日に検査入院して、気管支鏡検査で肺がんの細胞を取り病理検査の結果が11日に分かりました。

肺に突発的に出来た癌ではなくて、なんと大腸がんの転移でした。

要するに、大腸がんがある、って事です。
7年経ちますが、再発していたのです。
5年間は、半年に一回ずつ検査をしていました。

ポリープはまだ残っているものの、良性の可能性が高いから、もしも悪性に変わるとしても10年くらいはかかるから大丈夫と言われていました。

5年が過ぎ、これからは一年に一度で検査は大丈夫です、と言われました。

去年、検査しましたが異常なしでした、それなのに何故、と疑問があります。

先生いわく、良性ポリープが急激に悪性に変わり癌になったか、細胞に新しく癌が出来たか、調べないと分からない、とのことです。
そして、肺に転移したと……。

何が何だか分かりませんが、夫は今、大腸がんと肺がんの二つの癌に侵されているようです。
最悪の結果になりました。

今日の台風のように頭の中がぐるぐる渦巻いています。

夫はさすがに気落ちしていますが、負けるわけにいきません。

私がしっかりと支えて、励まして、前向きに病気と向き合いたいと思います。

大腸がんの転移となると今度は消化器外科が専門となります。

新しい先生と来週の18日に面談します。

たぶん、また内視鏡検査から始まり大腸がんを確定し手術をするか、無理なら抗がん剤治療になると思います。

そして、肺に転移した癌はそのあとの治療になると思います。

夫は私が動揺してるのを見て、明るく振る舞ったりしていますが、やはり本人が一番ショックのはずです。

私は夫を失いたくありません。
夫の笑顔が大好きです。

今は、さすがに目が窪み、隈が出来て悲壮な顔つきになっています。
あの笑顔を取り戻してほしい。

神様が本当にいるのなら私の寿命を削ってもいいから夫の病を治してほしい。






今日(10/3)夫は気管支鏡検査のために一日入院しました。
ゆうべ、9時からは何も口に出来ず水も飲めず、朝はもちろん朝食抜きで腹が減ったとぶつぶつ言いながら病院に向かいました。

入院の手続きをして、
9時に病室に入り、検温し点滴が10時から始まりました。
この点滴は出血止めらしいです。

病室は四人部屋で、検査入院の方が入る部屋らしく狭いです。

一日だけの入院ですからまだ我慢出来ますが、
あの狭さは家族も病室には居られないです。

11時に車椅子で検査室に入りました。
どうぞ、何事もないように、器具で出血などしないように祈りながら見送りました。

一時間位らしいので、その合間に私は夫が食べたいと言った、カツサンドを買いに行きました。
本当は検査が終わって先生の許可が出たら
本人は鰻を私にリクエストしましたが、
それは退院後!となだめ、じゃカツサンドでいいよ、となりました。

買い物して病室に戻ると夫はすでにベッドにいておとなしくしていました。
思ったほど、疲れた様子もなく、まだ喉にした麻酔が効いているらしく声は出ません。
身ぶり手振りで私の質問に答えてくれました。
検査は口から気管支鏡を入れる訳ですから、当然息が苦しくなり、その度に手を挙げて中断したそうです。
鼻だけでは難しかったみたいです。

私に手で、帰ってもいいよと言っていたので
、夫もひとりでゆっくり寝たいのかと察し私は帰ることにしました。
あとは看護師さんに任せて、病院を後にしました。
この担当になった看護師はとても可愛い人で、夫も喜んでいました。
孫でもおかしくないほどのまだ若い看護師でした。
でも、冷たそうな、きつい言い方の人もたまにいますからね、そんな人に当たると嫌ですからね。
夫も目尻が下がって嬉しそうで良かったです。

そして翌日、8時ごろに夫から電話があり予定通り午前中に退院出来るとのこと。
今からレントゲンをとり異常なければとのことでした。

10時位に病院に着き、待つこと一時間、やっと退院の運びとなりました。
たった一日でも、バスタオルやフェイスタオル、コップやお箸、など結構な荷物です。
冷蔵庫を開けると、なんと昨日買って食べてもらおうと思ったカツサンドと牛乳が入っていました。
聞くと、思いの外、喉にした麻酔が取れなくて気持ち悪かったらしく食べられなかったらしいです。

夕食は大丈夫だったみたいで、カツサンドは忘れてしまったとのこと。

支払いを済ませ、領収済みの用紙をスタッフルームに見せると、腕に付けたバーコードつきのアームバンドみたいのを外してくれました。
7年前には無かったシステムです。


夫は、家に着きベッドに横になり
やっぱり家がいい…と言いました。
こんな古くて昭和の匂いがする家でも、ここで40年近く暮らしてきたのです。
夕べは、消灯のあと同室の人や廊下の向こうの部屋の人の声がうるさくてあまり眠れなかったと言います。

そう言えば、私も21歳の時に胆石症で初めての入院を経験しましたが、初めは大部屋に通されましたが、回りはお年寄りばかりで母親にわがまま言って個室にしてもらった覚えがあります。
あとで差額ベッド代がかかって母親に迷惑かけましたけど。
病気はだからしないことに越したことないですよね〜

そして、その夜の晩御飯はまたまた夫のリクエストでお刺身にしました。
美味しいと言ってくれて良かったです。

また明日から普通の日常が始まりますが、ひとつ違うところは、肺にガンがあるということ。
9月の始めには、まさかこんなことになるなんて夢にも思わず、私は横浜パシフィコにジュリーを観に行きました。

あれから1ヶ月足らずで夫も私も青天の霹靂です。

夫は、目の下に隈が出来てしまいました。
病院で眠れなくて、いろいろと考えたと言ってました。
これからのこと、病気は待ってくれません。
どんどん体の中で大きくなり悪さをしてくるでしょう。

今はまだ普通に歩ける、話せる、運転も出来る。
でも近い将来、これらのことは出来なくなるのでしょうね。

夫の顔つきが肺がんと言われたときから、目元が窪み、見ていても辛いです。


気管支鏡検査の結果は11日に説明があります。
肺がんにもいくつかのタイプがあり、治療方がそれによって変わります。

手術、抗がん剤、放射線、などです。
そして、一番恐いのは何をしてももう無理なこと。
手術も出来ない、化学療法も出来ない末期の場合です。

夫は、何もしなくていい。
何もしないほうが返ってストレスがなく長生き出来る、てのが持論です。

私の希望としては、もちろん手術でガンをすべて取ってくれることです。
しかし、先生はどんな提示をするか、そして夫はどんな結論を出すか、もちろん私も同席します。

次回は11日の結果です。

読んでくれる方がいらっしゃるとしたら本当にありがとうございます。