もう夫は車の運転は出来ない。
息子が今はコロナのせいでテレワークなので、この日は息子に運転を頼み病院に行った。
私は、ペーパードライバーで免許を取ってからも一度も運転をしたことがない。
もっぱら50ccの原付で仕事や買い物をしている。
結婚して45年、いつも夫が運転をしてくれた。
雨の日の私の送り迎えや、大きな買い物などすべて夫がしてくれた。
私は自分で運転する必要性がなかったのである。
あ〜ぁ、運転していれば良かったなー。
この日、嬉しいことがあった。
入院のきっかけになった炎症の数値が下がっていたのである。
あんなに痛がっていて長期入院も覚悟したのに本当に数値が下がって良かった!
肺にある癌は相変わらず居座って消えてくれるはずはないが、大きくもならないでいるため、主治医に顔色もいいし、○○さん、まだまだ大丈夫ですよ!と言われた。
主治医は決してマイナスな事は言わなくなった。
前は、あと一年ですとか、癌がかなり大きいので痛みや熱、これからは覚悟して下さい、と言われた。
しかし、ここ1、2ヶ月は決して言わなくなった。夫が
先生よー、俺、あとどのくらいだ?
と聞いても、笑いながら
○○さん、元気なんだもん、私にも分かんないよ〜
と最近は答える。
そして夫は、あの入院していた10日間のことを話し出した。
先生、俺あまり良く覚えてないんだけど、入院して2、3日した頃に何か口走ったような気がするし、誰彼構わずに文句を言っていたような気がするんだけど、先生にも食って掛かったかな?
主治医は、
私には大丈夫だったけど、病棟の先生に文句を言っていたかな?
でもそれは、薬のせいだから皆分かっているから大丈夫だよ。
食って掛かられても、薬のせいだからと皆には話しておいたからね。
あ〜、なんと良い主治医なんだ!
私も夫も、この主治医を少し誤解していたかもしれない。
一年半も通院していて、治療の事はあまり話してくれず、少し不信感を持っていた私達は最近は転院も考えていたのに。
抗がん剤を拒否した私達は、見捨てられているのかな、と疑心暗鬼になったりしたのに。
そして診察は終わり、私は少しぐずぐずして夫を先に診察室より出した。
私には主治医に聞きたいことがあったのだ。
先生、夫は退院した直後、少し変わりました。
私に攻撃的になり、文句を言います。
薬の管理も自分でやりたがり、私に触らせません。
食事もあまり入らないようで、私が無理して食べるように言うと、うるさい!と怒ります。
今はだいぶ良くなりましたが、退院して一週間くらいは私は夫のことを腫れ物に触るくらいに神経質になっていました。
やっぱり、薬のせいだったのでしょうか?
主治医の先生は
ご主人は今回の入院で、かなり死を意識したんだと思います。
覚悟は出来ていても、今自分があまり長くない、死んでいくんだ、と考えたと思います。
入院中もそういう苛立ちを見せていました。
病院側は分かっていますからいいですが、奥さんは苛立ちをぶつけられて大変だと思います。
でも奥さんだからこそ、ご主人は苛立ちをぶつけるのです。
もうすぐ死ぬんだ!と考えているご主人を支えてあげてください。
そうだったのか、私は何も分からなかった。
いらいらを私にぶつけ、わがままを言う夫が入院前とは人が変わったようになってしまったのを、ただただ戸惑い悲しかった。
一週間位で元に戻ってくれたが、時々いらいらしている様子が今でも見受けるのだ。
今年は庭にガーデニングもやらないと言う。
毎年、キュウリやトマトなどを楽しみに作っていたが今年は出来ないと言った。
草取りもしなくなった。
もう少し気持ちが落ち着くまで何もしないでいいと思う。
夫を支えること
……私に出来るだろうか?
見た目は元気でも、やっぱりいなくなるんだ。
私は夫がいなくなったらどうしよう、とずっと思っていた。
死に行く夫の立場になって考えていなかった。
自分のことばかり考えていた。
苛立ちをぶつけられて、こちらも苛立ってしまっていた。
違うんだ、夫はもっともっと苦しいんだ。
辛いんだ。
悲しいんだ。
私が支えなくちゃ誰がこの人を支えるんだ。
私しかいないじゃないか。
私にぶつけてもいい。
苛立ってもいい。
私で良ければ、どんどん当たってもいい。
決して出来た女房じゃなかった。
跳ねっ返りの、出来損ないの女房だった。
喧嘩するほど仲が良い、と言うけど私達は常に口喧嘩をしていた。
口喧嘩をしてもお互い許し合えると思っていたし、事実許しあってきた。
私は夫に甘えていたのだ。
何でも言い合えて、後腐れがない。
私は本当に夫に甘えていたのだ。
これからは、表向きは今まで通り口喧嘩しながらも夫を受け止めてあげようと思う。
私に感情をぶつけてきたら、きたか!と苦笑いして、はいはいと聞いてあげよう。
返事は一つでいい!と怒られながら。