大寒を迎え、それでも春は確実に近づいて来ている24日、
最愛の夫が天に召されました。

2019年の9月に大腸がんからの肺転移で闘病が始まり、死への恐怖に怯えながらも、それでも生きることを決して諦めなかった夫。

抗がん剤をかたくなに拒否し、その日が来るまで自分らしく好きなことをして好きな物を食べ、一切後悔はしないと覚悟した夫でした。

余命1年と言われたのに、倍の2年を過ぎてもまだまだ元気でした。
癌と共存出来ていたと信じています。

しかし、病魔はその頃から確実に夫の体を蝕みはじめてきました。

昨年10月頃から腰に異変を感じはじめましたが
11月のある日、トイレに行こうと歩き始めた時に右足に鋭い痛みが走ったようです。
脚を引きずるようになり、11月29日にとうとう病院に行きました。

結果、強制入院。
腰のMRIで原因が分かりました。
仙骨という、お尻の近くの骨に癌が転移していました。
確かに、お尻の周りが痛いと言っていました。

放射線を仙骨に当てる治療が始まると共に、また強いせん妄が出てきました!
このせん妄は、痛み止めの薬の影響ですが、更に強い薬が増えたため幻覚、妄想がひどくなりました。
10回あてて痛みは失くなりましたが、時すでに遅しで下半身は、特に腰は動かなくなってしまいました。

両脚は動くので、曲げたり伸ばしたりは出来ましたが、立って歩く事は無理との事でした。

まさか!まさか!転移していたなんて…。
夫は転移してもそれを受け入れる。
肝臓や脳に転移しても、すべて受け入れる。
だから抗がん剤は決してやらない。
常々そう言っていました。

しかしさすがに仙骨への転移は想像していませんでした。
本人は相当ショックのようでしたが、一番のショックはなんといっても歩けなくなってしまった事です。

せん妄が酷いときは、歩けなくなってしまったことは忘れているので、ベッドから降りようとしたり歩けるからトイレに行きたいと言ったりしました。
正気の時は、看護師さんが説明すると納得しておとなしくしていたようです。


12月の中旬、病院から呼ばれ主治医と話しました。

主治医の話から。
放射線治療も終わったので、これからのことを考えましょう。
二つの選択肢があります。
ひとつは転院です。
一切の治療はもうしないで、痛みだけを和らげる方法です。
ただ、コロナの影響でご主人とは会えないです。

そこでもうひとつの選択は、在宅医療です。
訪問看護で医者や看護師さんに診てもらう方法です。
もちろんこれも基本的な治療はもう出来ないので、痛みを取るのみですが。
これなら家に居られるので本人も落ち着くのではないでしょうか?
ただし、奥さんの覚悟が必要ですよ!
歩けないということは精神的にも本人は辛いし体も辛い。
それを支える覚悟はありますか。

私は転院の事は全く視野に入れていなかったので、在宅医療で夫を支えようと決めました。
主治医に、覚悟はあります。
と伝えました!

そして、12月21日に退院。
その日から壮絶な介護の日々が始まりました。
この1ヶ月あまりの介護の日々はここには書かないでおきたいと思います。
私と夫だけが分かっていればいいのですから。


そして、1月も半ばを過ぎ、訪問看護の方や訪問医師の方々の手厚い介護で寝たきりだけど、まだまだ大丈夫と思っていた21日、
息子が42歳の誕生日を迎えました。

体はかなり衰弱してきて、食べることもほとんど出来なくなりました。
でも息子には笑みを浮かべて祝ってくれました。


そして、運命の24日。
朝から幻覚が酷くて、いろいろなことを言っていました。
この日は、親友がお見舞いにきてくれました。
ノンアルコールのビールで乾杯して、夫はグラスに口を付けただけでしたが嬉しそうにしていました。

しかし、3時頃から容態が急変し、訪問看護の方が駆けつけてくれました。

肩で息をし始めたので、あと数時間でしょう。
息子と二人で見守り、午後7時35分に大きく息を吸って呼吸が止まりました。


葬儀も終わって、今は私の側にいます。
もう痛みも苦しみもないでしょう。
良く頑張ってくれました。
痛いとは言っていましたが、苦しいとは最後まで言わなかった…。


夫のスマホに本人の画像が何枚も残されていました。
自撮りで、入院中にせん妄が出ないときに撮ったようです。
さらに、メモ機能に日記が残されていました。
感謝、感謝と毎日書いてありました。
私が必ず後で見るだろうと考えていたのでしょうね。
あの人らしいです。


訪問看護の方が、ご主人は奥さんとの馴れ初めや、デートの話を良くしてくれましたよ。
ご主人は奥さんに感謝していますよ、と話してくれました。

私は、時としてこの介護が辛いと感じてしまったことが何度もありました。
だから最後は、私を楽にしてくれたのだろうと、申し訳ない気持ちで一杯でした。
でも看護師さんの言葉で少しは救われました。

意識がなくなる前、右手の小指を出したので私も小指を出して絡ませました。
何も話してくれませんでしたが、私は天国でまた会おうね!と心で呟きました。
約束だよ!って。

身体は失くなっても、夫は私の寝室で眠っています。
話しかけると、頷いているような感じがします。
後悔ばかりの日々でしたが、今は夫が痛みのない世界、苦しみのないあの世で私を見守ってくれていると思います。

今まで、温かく見守っていただきまして本当にありがとうございました。









ジュリー、お誕生日おめでとうございます。
今年も無事にこの日を迎えることが出来ました。
中学生の時に、ジュリーのお誕生日が私の親友と同じと知って、その親友が心から羨ましかったです。
好きな人のお誕生日って特別ですよね。
一生変わることのないこの数字。
6.25
6月は梅雨の真っ只中、今日もどんよりと曇っていて今にも雨が降りそうです。


去年はもちろん、今年もライブはやらないだろうと思っていた矢先に思いがけず嬉しいお知らせが届き、万全の感染対策をして行ってきたライブ。
大げさですが、私に生きる力を与えてくれました。
やはりあなたの力は偉大です(笑)


昨日、週刊○春の連載が再開され、立ち読みしてきました。
今回はなんとタイガースの話でした。
その中で、夏○マリさんの言葉が印象的でした。
マリさんは私と同い年。
やはりタイガースやGSが大好きだったようです。
でもタイガースはあまりにも大きくなって、おいそれとステージが観られない。
だからランクを下げて(笑)違うGSを観に行ったらはまってしまったそう。

あぁ〜、同じだ。
タイガースはいつも満席で、何度も観られなかったなぁ〜
だからランクは下がったけど、私も別なGSを観に行って、やっぱりはまったなぁ。

その、はまったGSのバンド名をジュリーが先日の名古屋ライブで口にしたと聞いて、私はとても感動しました。
ジュリーもそのバンドを覚えていてくれた。
タイガースの代わりと言っちゃ失礼だけど、ジュリーの代わりに確かに追っかけてしまったバンドでした。

あれから長い長い年月が経ち、ジュリーも今日で73歳。
私も来年はなんと古希を迎えます。

秋のライブのお知らせも届いたことだし、体に気を付けて秋を待ちたいと思います。

コロナのこと、五輪のこと。


そして、夫のこと。

いろいろ心配事はたくさんあるけど、まずは日々の暮らしを大切に体に気を付けて過ごしたいと思います。

今日は毎年恒例のジュリ友とのランチです。
美味しいものを食べて、ささやかながらジュリーのお誕生日をお祝いしたいと思います。

かったるい疲れが残っています。

あぁ〜、そうだった、ジュリーのコンサートに行くと翌日は必ず、かったるい疲れが残る。

その夜は、ジュリーに会えた喜びと歌に酔いしれた感動であまり眠れず、かといってこの感動を家族とは共有出来ず、ひとり思い出してはニヤニヤしたりなかなか寝付けない。

今朝は夕べのジュリーを思い、改めて凄い人のファンになったんだなぁ〜と感動しています。

日々の生活もままならない今、非現実な夢の世界に癒されに行こうと決めた当日、思いがけなく夫からお許しを頂きましたので(笑)、最大限の感染予防をして行って来ました。

去年の一月以来の東京です。

一年四ヶ月振りのジュリーは、右手をあげて下手から颯爽と登場しました。

一曲目は果たして…

セトリは次のブログに書きますので、ここでは感想だけ書きたいと思います。

一曲目、そうきましたか、ジュリー。

ソロ50周年だからね、アニバーサリーだね。

二曲目、時過ぎ、来ましたね。

朝にジュリ友さんにLINEして、苦渋の決断を聞いて、時過ぎを歌ってくれたら嬉しいな!って聞いていたから、感慨無量でした。

ミ○ミルちゃん、貴女の思いが通じましたよ。

ジュリーは淡々と歌います。

声も良く出ていて、一年以上も歌っていなかったとは思えないほどまったく以前と変わりませんでした。

その分、どれほどボイストレーニングをしたのでしょうか。

私達も今日この日を楽しみにしていましたが、ジュリーも万全の体制で声の調整、そして体のメンテナンスをして望んだのでしょうね。

どれだけ歌いたかったか、良くわかります。


風に向かいながら〜イントロですぐに分かりました。

この曲から始まったソロ活動。最初はまだまだ青いジュリーの声でした。

今の君のせは、貫禄十分です。ラスト、バレリーナのお辞儀は健在でした。   

ニーナ〜忘れられない〜

キーが高くて有名な一曲。信じられません、どうしたらあんな高い声が出るの?

失礼ですけど、72歳ですよね?

来月73歳ですよね?脅威の喉の持ち主ですね。

かーみがたが〜変わりましたね〜

季節は違えど、この曲はジュリーのお気に入りじゃないかと想像します。

気持ち良さそうに歌いますね。


震災の曲も何曲か……。

ここで私の頭に浮かんだ疑問をひとつ。

今日は確かバラードでしたよね。

時過ぎも君のせもコバルトも確かにバラードですが、震災曲は詞は辛辣ですが、曲はロックですよね〜笑

極めつけは、

そ〜らを飛ぶ、ま〜ちが飛ぶ

TOKIO!

TOKIOって、振りが重要でチャチャ!と手拍子入れたり、おっいっちに体操したり、ジュリーと客席が一つになれる曲ですよね。

すごーいアレンジのTOKIOでした。

ジュリーは同じところを、歌いながらぐるぐる回ったりしていました。

テンポもゆっくりで、初体験のTOKIOでした。

TOKIOのバラード編?かな。


さーいごの夜だーから〜

今なら取り消せるbaby〜

また高いキーを事もなく歌ってしまうジュリー。

そして、私の聴きたかった一曲が通じたようです。

その人のやさしさーが花にまさるーなら〜

……………

いつの日か唇に歌がよみがえり、いつの日か人の胸に愛がよみがえり〜

淡々と歌うジュリーを見つめて、泣いてしまうかも知れないと思いながら、冷静に聴いている自分に驚いています。


roveyouいつまでも冷めない思いに

roveyou感じてよこの愛の深さ

ラストソングはこの曲でした。

ジュリーのMCは、去年の全公演中止にしたいきさつや、今日のライブ決行までの話などでした。

ジュリーは、無観客や、ネット配信はしないそうです。

生がいい。

今回も全曲バラードでやりますので、着席観賞ですから〜〜と許可を取った、みたいなことを言ってました。

へー、バラードですかー

ロックぽいのもありましたけど、と皮肉ぽく笑ってしまう私がいました〜笑


入場するときのチケットの裏面に記入することや、手指の消毒、検温などで開演が25分も遅れたこと。

たぶん、アンコール前には着替えもあったでしょうが間に合わずに、仕方ないことですが、名古屋や大阪では二枚目の衣装もどんなものか見たいですね、行きませんけど〜笑

ジュリーは、黒だか紺だか紫だか、良く分かりませんがロングのジャケットに金銀のスパンコール?かなあー

とっても素敵でした。

髭を剃ったかもしれないとの噂が流れましたが、顎髭はありましたね。

かなり短めに揃えていて、遠目には無いように見えました。

ジャケットを脱ぐとお腹が目立ちますが、かなりへっこんだみたいで、痩せたのかなぁ〜と思いました。

本音を言うと、バラードと聞いて

あの曲や、この曲などが頭をよぎりました。

もうお互いに若くはない人生、もしかしたらあの曲を歌ってくれるかもしれない、と。

でもまだまだジュリーは歩みを止めようとはしない。

秋にはまたコンサートの予定がある、と発表しました。

そして、来年もある、必ずジュリーは歌ってくれる。

昨日、苦渋の決断をした方がたくさんいたと思います。

その人だけのことではなく、家族や会社など、回りを巻き込んでしまう感染症。

行けなかった方、行かなかった方。

ジュリーは想定内として受け止めてくれたはずです。

だから秋のコンサートには来てね!っと発表してくれました。

もちろん、感染者が減ることが条件ですけど。

でも50%でもやる!と強気でしたよ。笑

最後に、ジュリーは変わっていませんでした。

歳だから〜とか、足が痛い、腰が痛いとか一言も弱音を吐きませんでした。

淡々と歌い、いつもの笑いを混ぜたお話、そして!

希望が無いとね!と先の目的を作り

それに向かってまた頑張る。

14歳から始まった私のジュリーへの愛。

まだまだ終われません。