死の川を越えて 第38回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

死の川を越えて 第38回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 女医は、まばたきもせず、さやを見詰めて聞いていた。そして、後ろを振り向くと、マリア像を指して言った。

「マリア様は馬小屋でイエス様をお産みになった。今から1900年以上も昔、古代ローマ帝国の時代で、今よりもっと大変でした。奴隷制度があり、キリスト教徒は迫害されました。ハンセン病の人は死の谷に閉じ込められ肉親が面会することも許されませんでした。イエス様は成長して隣人愛を説きましたが、ローマの総督により十字架の刑に処されました。イエス様の死は全人類を救うための死でした。人の命は地球より重いという言葉を噛み締めます。女は命を産む存在です。女は命を大切にする覚悟を持たねばなりません。私は、あなたに子を産むべきかどうか意見をすることはできません」

 そう言って女医は言葉を切り目を閉じた。そして目を開くときっぱりと言った。

「キリスト教徒としては信者でないあなたにキリスト教の信念を言えないからです」

 さやは遺伝病でないことを女医から直接聞いても、まだ不安だった。さやの表情を見て女医は笑顔をつくって言った。

「私が尊敬するある医師に会うことを勧めます。私が東京にいたころに知り合った医師であり、学者です。京都帝国大学医学部を卒業されました。小笠原泉様と申され、大変優れた方なのでいずれ医学部の先生になられることでしょう。ハンセン病については学会の主流とは異なった進んだお考えをお持ちです。あなたに決意があるなら、紹介状を書きましょう。京都大学に聞けば、その方の所在が分かると思います」

 さやは大きくうなづいた。正助は、国のために命を捨てる覚悟で出て行った。おなかの子は正助がさやに託した財産であり、正助の分身である。自分も命がけで、この財産に取り組まねばならない。そのための大事な一歩が、この小河原という医師に会うことだと思えた。

 さやは万場軍兵衛に相談した。すると、老人はすぐに動いた。京都大学に連絡し、小河原泉という医師と会えることになった。旅費などの費用は万場老人が面倒をみるという。恐縮していると、こずえまで同伴につけると言ってくれた。万場老人はきっぱりと言った。

「この問題は、さやさんと正助だけの問題ではない。おなかの子のためでもある。そしてな、われらハンセン病患者全体に関わる予感がするのじゃ。金のことは心配せんでいい」

 岡本トヨは、喜んで紹介状を書いてくれた。さやは出発前に紹介状を自分の手紙とともに京都大学に送った。

つづく