中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba
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「皇室典範の改正と国会軽視の衝撃」

◇皇室典範の改正案が、10日衆院を通過した。皇室典範は、日本国憲法に基づいて皇位の継承順位や皇族の身分及び範囲等を定める非常に重要な法律である。日本国憲法は第一条で天皇の象徴性を定め、続く2条でその象徴たる地位は皇室典範の定めによって継承すると記定する。このことから象徴天皇制は皇室典範と一体となっており、皇室典範は象徴天皇制を支える柱としての存在であるといえる。従って皇室典範の改正のいかんは象徴天皇制を揺るがすことになりかねない。このような重要な皇室典範改正に関する質疑が、わずか一日しかも3時間で終結したことは衝撃という他はない。

 このような憲法無視、国会軽視は滅多にあるものではない。国民は今こそ声を大にして怒らねば主権者に値しない。その意味で国民は試されているといえる。このような問題が生じた時、怒りの声を上げるのは若者であるべきである。最近東大のキャンパスを歩いた時、静かで立て看板もなかった。これは何を物語るのであろうか。若者の意識が低いのか、怒りのエネルギーがないのか。情けないことで淋しく感じた。「恥を知れ、恥を」と叫びたい。

 サミュエル・ウルマンの詩を思い出した。

「理想を失う時に初めて老いが来る。

 情熱を失う時に精神はしぼむ。

 人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。

 人は自由と共に若く、恐怖と共に老ゆる。

 希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」

 この詩に刺激されてその夜は9時過ぎまで頑張った。

◇正しく怒ることの重要性をかみ締める時である。今日の日本社会には懸念すべき情況が生まれているようだ。怒らなくてもいいと思われることに大きく怒り、怒るべきことに声を上げないことだ。「公憤」という言葉がある。公憤とは正義のいかりであり、義憤のことである。つまり、公憤とは社会の悪についての私情を越えた憤りであり正義のいかりである。論語には「義を見てせざるが勇なきなり」とある。孔子のこの言葉は2千年余の時を越えた真理として生き続けている。公憤には私を越えて社会に参加するという視点がある。これは民主主義の価値観と繋がる。孔子の言葉が時を越えて新しい力を生み出していることを知る。現在、民主主義の危機が叫ばれている。人間の心が貧しくなっているのだ。民主主義を支えるものは広くて深い心である。憲法14条は高らかに謳う。全ての国民は平等で、人種、信条、性別によって差別されないと。人間の心にはその本性として差別が棲んでいる。(読者に感謝)

「利根の急流を泳いだ少年の頃。地球沸騰の時代を人間は生き残れるか」

◇子どもの頃、県庁裏の利根川で泳いだことが懐かしい。かつての利根川は阪東太郎の名にふさわしく水勢が激しかった。私は庁舎の対岸から斜め北に向けて飛び込み必死で泳ぎ、流れに押し戻されながらやっと岸に辿り着くのだった。当時、川は子どもの遊び場であった。大きな口を開けての奮闘だから水を呑むことも当然あった。小さな川をせき止めて泳ぐこともあった。ある時、元総社の牛池川で泳いでいたら、大きなヘビがかま首を上げて見事に泳いでいるのに出合った。ヘビは泳ぎが巧である。恐ろしさを忘れ美しい泳ぐ姿に見とれていたのを思い出す。時を経て私たちの生活環境も生活習慣もすっかり変化し、子どもが川で泳ぐこともなくなった。ヘビを見ることも少なくなった。ヘビは生活環境を奪われ、結果として生きる困難に直面していると思われる。ヘビとの共存共生が出来なくなることは人間が自分で自分の首を絞めることを意味する。現在クマの被害が騒がれている。クマに罪はない。親子連れの姿を見ると彼らが厳しい環境で必死に生きていることを痛感する。人間は古来思い上がった存在である。この地球が人間のためにあると思い込んできた。産業革命以来、開発の名の下で猛烈な勢いで自然を破壊してきた。地球は遂にここまで来てしまった。国連事務総長は地球が沸騰していると表現した。その主な原因は人間活動による温室効果ガスの増加である。地球の悲劇はこれから加速するだろう。海面の上昇は続き、太平洋の小島の多くは水没の危機にある。オーストラリアへの移住が現実化している。北極の棚氷が溶け巨大な塊が漂流を始めている。中には日本列島ほど大きいやつもあるというから驚きを超えて呆れるばかりである。超大国の横暴を許すなという声が大きくなっているが、こういう状況の中で超大国の存在感は増すばかりである。小さい国々は諦める他はないのだろうか。そんなことは決してない。人類は知の存在ではないか。知とは即ち理念である。日本が生きる道、大きな存在感を発揮すべき点はこの理念であるべきだ。日本には誇るべき理念がある。日本は軍国主義の侵略国から「広島」、「長崎」を経て不死鳥のように変身して生き返った。この時、生命の元として手にしたのが平和の理念であった。現在宇宙時代に突入しつつある。宇宙は無限に膨脹しつつある。知的生命体との交流の時代である。宇宙人は隣人である。新たな遭遇の時が近づいている。コロンブスが新大陸を発見した時のように。(読者に感謝)

死の川を越えて 第245回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 ある時、上地区の清水佐助という患者が事件を起こした。この男、湯の川集落の飲食店で無銭飲食をして捕まったのだが、日頃話題の常習犯であった。主人は開き直ったふてぶてしい態度が許せなかった。栗生園が管理できないなら草津の警察に突き出すということで騒ぎになった。

 園としては患者の管理責任を問題とされることはまずいことであった。古田園長はどのように警戒すべきか迷った。

 この時、苛藤は待ってましたとばかりに言った。

「とにかく国民の税金でつくった特別病室を使わないのはまずいんじゃないですか。無銭飲食という常習癖をなおすには本来刑務所に行くべきなのだから、少しあそこへ入れて反省させるべきだと思います」

 苛藤の言うことには一応の理屈があるので古田園長は考え込んでしまった。そして言った。

「よし、2、3日入れて様子を見ることにするか。よいか、君、2,3日ですよ。この特別病室にはもともと疑問があります。胸を張って使える施設とは思えませんからね」

「はい、よく分かりました。反省の効果が上がるようならすぐ出すことにしましょう」

 特別病室入りが決まった時の清水の狼狽ぶりは大変なものであった。もう絶対しねえからと苛藤に手をついて助けを求め、手を合わせて哀願するのであった。

 彼の哀れな態度は苛藤の残忍な心を煽った。

 清水が入れられた夜、特別病室からは泣き叫ぶ声が聞こえた。

 その翌日のことである。上地区の者2名が正助を訪ねてきた。

「確かに銭を払わねえで食ったヤツが悪いには違いねえが、あんなコンクリートの塊で窓もねえ牢屋にぶち込むとはひでえことです。人間のやることとは思えねえ。おれたちはヤツが哀れでなんねんです。何とかならねえものでしょうか。お願いします」

 正助は事の重大さをすぐに察知した。

 万場軍兵衛と水野高明に話すと、2人は異口同音にこれは捨て置けない、コンゴのこともあるから古田園長に話そうということになった。

つづく

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