中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba -2ページ目

人生意気に感ず「古武士の風貌・左手の書家の執念。総裁選で示される資質。宇宙時代は火星に、13キロ

◇眼光炯々(けいけい)人を射るという。古武士を思わせる風貌の書家金澤子卿さんは脳梗塞により命とも頼む右手の機能を失った。昨日15日、冥誕百年を祝う会で私は挨拶する名誉を得た。「書は人を現すと言います。優れた書を見ると一本の線からその人の人柄が伝わってきます。私は金澤先生が左手で書いた書から衝撃を受けました。右手の機能を失った先生が左手で書くことは精神力で書くことを意味します。その姿は障害を乗り越えて新たな境地に達したことを意味しました。私は神様が敢えて試練の場を与え先生は見事に応えたのだと受け止めました」大要このように述べたのです。

 先生は右手の機能を失った時、「これで書道人生も終わりかと思った」と語られた。しかし直後左手で書くことを決意し即刻、子卿左手所作の印を発注し己を奮起させる。「それにより奈落の底からかすかな光明を見ることが出来たのです」と語る。この決意を詩でも詠う。「方今(いま)、左を以て新風を拓かん」と。福田康夫元首相は「左手の書聖」と評した。

 子卿先生の魂を継ぐ高崎書道会は群馬県書道会でも中心的存在である。人間の精神がおかしくなり文明の危機も叫ばれる昨今、子卿先生の精神も堅持していかねばならないと思う。

◇自民党総裁選の討論会で9氏が議論を交わした。多くの国民が見ているに違いない。これが世論調査にどう現れるかと思いながら見た。私が注目した一つは解散時期。本当の判断材料が国民に与えられることが必要である。小泉氏は既に示されている。だから解散前の国会論戦は不要だと主張。石破氏は解散前の予算委員会が必要だとする。本当のやり取りは予算委員会だけだ。私は石破氏の言う通りだと思う。予算の攻防ほど首相を追及する舞台はない。

 直後の世論調査は次の総裁として石破氏26%、小泉氏21%等と出た。朝日、日系、読売などが概ねこのような動向を示している。

◇宇宙への扉が開かれ探査の舞台は月から火星になった。地球の外を回る惑星でお隣さんだ。来年の万博で火星由来の隕石の展示が決まった。南極の昭和基地近くで日本が採取したものでラグビーボール大で重さは13キロ。約1,000万年前に火星を離れ数万年前に地球に到達したとされる。一般公開は初めてのこと。生命の起源を解明する重要な手がかりとなるもの。万博のテーマ「いのち輝く」を象徴する。遥か彼方から夢を運んでくれた珍客を歓迎したい。(読者に感謝)

死の川を越えて 第37回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「正助さんが前にここへ見えた時、この病は遺伝病ではないこと、観戦する力が弱いことを話しましたが、正助さんは、この話をおなかの子の運命と結び付けて聞くことはなかったことになります。感染力が弱いということは、草津の人が知っていたことではないかしら。共同浴場で皆一緒に入っていたことがそれを示すでしょう。しかし、世の中には多くの患者がいます。生まれてくる子が感染しないとは限りません。私は医師として悩んでいるのです。怖いのは、世の差別と偏見です。そういう中で、子を産むことを覚悟せねばなりません」

 さやは女医の口元を見つめ、何を言おうとしているのかを知ろうとして真剣に耳を傾けた。

「偏見とは間違った考えのことですか」

「そうです。無知や誤解が偏見を生むのです」

 さやは、この時大きくうなづいて息をのむしぐさをした。

「・・・」

 女医は、さやを目で促した。さやはぽつりぽつりと話しだした。

「実は、里でお姉さんが、その偏見とやらの犠牲になりました」

「村のお医者によって、私がハンセン病だと分かりました。ほんの初期で軽いということでしたが、お巡りさんが先頭に立って、白い服を着たお役人たちと一緒にやって来て調査をすることになったのです。私は助け出されましたが、その後で調査は行われました。パッと村中に知れ渡りました。伝染する、怖い、と誰も近づかなくなりました。姉は嫁ぎ先にいられなくなり、離縁され家に帰りましたが、家にもいられないのです。気が変になっていたと思います。ある時、姿が見えなくなって、探したら井戸に飛び込んでいるのが発見されました。姉の思い詰めた顔が浮かびます。男の人を好きになるのは悪いことなのかとずいぶん悩みました。まして、赤ちゃんを産むなんて許されないことなのかと苦しんでいます」

 

つづく

死の川を越えて 第36回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

七、小さな命

 

 正助は草津を去って行った。取残されたさやは、言い知れぬ孤独と不安に襲われ、正助の後を追いたい気持ちに駆られた。

 正助が草津を発ってしばらくした時、さやは体の異変に気付いた。それが小さな命だと知った時、さやの衝撃は大きかった。それは大きな喜びであると同時に新たな不安と悩みの始まりだった。

 小さな命がいとおしい。この小さな命は正助との絆の証。神様が与えて下さった何よりも大切なもの。

 しかし、そう考える胸の内に、暗雲のように湧いてくるものがある。生まれてくる子が恐ろしい病を継いでいたら。正助によれば聖ルカ病院の女医さんは遺伝しないと言ったというが本当だろうか。信じ難いが信じたい思いが湧いてくる。

 正助が知ったら何と言うだろうか。一番聞きたい正助はいない。さやは大いに悩んだ。聖ルカ病院の岡本トヨのことは正助から聞いていた。女医に相談したいが、よく分からない異国の神のことを語られたらどうしよう。しかし、誰かに相談したい。迷った末に岡本女医に聞くより他はないと決心した。

 女医は笑顔でさやを迎えた。背後の子どもを抱いた白いマリア像が目についた。正助さんも、ここであのマリア像を見たのかしら。さやは、その小さな赤子の姿が気になった。

「生まれはどちら。差し支えなければ」

 ハンセン病の患者は出生地を隠すのが常であったのだ。

「福島です」

「まあ、私は郡山です」

「え、では隣村です」

 さやは驚いた。懐かしい古里の山河が浮かび女医に親しみを感じた。岡本トヨも、うれしそうな笑みを浮かべている。さやは、話すべきか迷っていたが、女医が同郷の人と知り、気持ちが軽くなって、おなかの子のこと、そして現在の悩みを話した。

 女医は大変驚いた表情をしたが感情を抑えるようにして言った。

「正助さんはおなかの子のことは知らないのですね。あなたもさぞ辛かったことでしょう」

 さやは黙って下を向いた。

つづく