死の川を越えて 第29回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

死の川を越えて 第29回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 大正5年は西暦で1916年。2年前に第一次世界大戦が勃発した。これはドイツを中心としたその同盟国とイギリス、フランス、ロシアなどとの戦いだった。日本は日英同盟を理由としてドイツに宣戦布告し、中国におけるドイツの根拠地を占領、そのほかドイツの利権を強引に継承する動きに出た。

 中国に二十一カ条の要求を承認させたことで、中国の民衆の半日感情は一層激化した。中国へ強引に進出する動きは、日本の運命を誤った方向に導くことになる。そして、軍国主義の激しい渦の中にハンセン病の人々は巻き込まれてゆく。

 大正6年のある日、正助たちは久しぶりに万場軍兵衛を訪ねた。正助のそばに座るさやの姿には、新妻の雰囲気が漂っている。それを見て万場老人が言った。

「若いというのはいいものじゃな。は、は、は」

「さやちゃんも勉強したいと言うので」

「おお、それは感心じゃ。これからは、女が学ばねばならぬ時代なのじゃ」

「さやちゃんは、この湯の川地区ができたいきさつを知りたがっています。前に、ハンセン病患者の光ということを教えてもらいましたが、その時、村から追われるようにしてこの集落ができたようなことを言われましたね。そのことを俺たちもっと深く知りたいのです」

 正助がこう切り出したとき、権太が言い出した。

「うん、先生、俺も知りてえ。昔は、本村の病気を持たねえ人と一緒に風呂に入っていたという。それが何で追われたんですか」

「権太、お前が不思議に思うのも無理はない。よい機会じゃ。昔のことを話そう。それを知ることが、この集落を守り、偏見と闘う原点となる」

 万場老人はきっぱりと言った。そして、後ろに手を伸ばし、古い書き付けを引き寄せた。万場老人は書き付けをめくりながら語り出した。

「この草津は昔から有名だった。明治の初め、明治12年頃かな、スウェーデンの人物で地理学者のノルデンシェルドやドイツの医学者ベルツも草津を訪れている」

つづく