死の川を越えて 第28回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
正助とさやを喜ばせたのは、山田屋の主人の計らいで、新郎、新婦の衣装を整えたことである。花嫁姿となったさやは見違えるようであった。
さやは、福島の古里を思って涙を落とした。自分を追った農村の風景が一瞬頭をよぎる。
「さやさんきれい」
こずえが思わず叫ぶ。
神職が祝詞を上げ、2人が夫婦であることを宣言した。三三九度の杯を上げると、人々の明るい笑顔が社にあふれた。正助の胸には万感迫るものがあった。
五、時代の風
時代は内外ともに激しく動いていた。そうした政治、社会状況はハンセン病患者に対しても影響を与えた。国のハンセン病対策は予算に関わることであり、景気や国防費に左右されたからである。
また軍国主義の機運が高まる中で、ハンセン病に対する偏見と相まって、この病気が「聖戦」を汚す国辱ととらえる傾向が生まれ、このことが偏見を助長するという悪循環につながったからである。
イギリス人宣教師、マーガレット・リーが湯の川地区でハンセン病患者の救済活動に入ったのは、大正5年のことであった。そおきっかけは、前記のさやのような少女の保護があった。男性患者の争奪の的となった患者の少女を憐れみ、湯の川地区の陽春館の一室を借りて保護したのである。
マーガレットは、翌年にも同じような立場の少女3人を保護している。このような状況を考えた時、仲間の正助に助けられ、喜びを共有できたさやは幸せであった。マーガレットはその後、莫大な私財を投入して病院をつくるなど、キリスト教に基づく救済事業として展開していく。
つづく