死の川を越えて 第22回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

死の川を越えて 第22回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 万場老人の目は少年のように燃えていた。

「どうだお前たち、これからの成り行きによっては、力を貸そうではないか。われわれのためなのだ」

「やりましょう」

 3人は一斉に言った。

 それを見て万場老人は言った。

「いずれ、お前たちもマーガレットさんに会う機会があるであろう」

 草津の温泉街の東の端から更にふもとの集落に向けて1本の道がのびる。そこへ向かう道の左は急斜面で、その下から湯川の流れが聞こえている。

 しばらく進むと右側に正門があり、その奥に広がるのが草津栗生園である。国の方針で、このハンセン病の療養施設ができたのは昭和7年のことであった。

 この園の近く、少し草津寄りの道路端に1本の石柱が立ち、それには、マーガレット・リー女史墓所入口と刻まれている。

 木立に囲まれた細い道を登ると、十字架を頂いた納骨堂とその奥にキリスト教徒の墓群がある。納骨堂には次のような表示がある。

「ミス・マーガレット・リー教母は英国に生まれ、病者の救済に私財を投じて献身され、キリストの愛を証明された。リー教母の遺骨は遺言により多くの信徒と共にここに納骨されている」

 そして、納骨堂の前に、堂を守るように2人の教徒の墓があった。岡本トヨと大江カナである。

 マーガレット・リーが、草津のハンセン病患者の救済に生涯をささげる決意をしたのは、大正5年、59歳の時であった。

つづく