人生意気に感ず「開善学校記念式典で在りし日を振り返る。長男周平の決断」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「開善学校記念式典で在りし日を振り返る。長男周平の決断」

◇6月30日、白根開善学校創立46年記念式典に出た。朝7時に家を出て途中少し休んだりして午前10時少し前に着く。久しぶりの六合の山河に私は胸を熱くした。傷害のある長男周平を入学させたのは我が家にとって大きな決断であった。そして何よりも周平にとって人生最初の決断であったのだ。小学6年のとき芳賀の我が家に創設者の本吉修二が訪れ周平と二人で話し合った。そして周平は言った。「僕、山の学校へ行くよ」と。山の学校で待ち構えていたものは彼の想像を遥かに超えるものであった。私は周平と我が家の闘いを拙著「遥かなる白根」で書いた。振り返ればこの学校は本吉修二という男の理想の教育に対する執念によって実現したのである。学校の入口の掲示板には「人は皆、善くなろうとしている」とある。これは本吉氏の教育理念の中心である。受験戦争が荒れ狂っていた。知識の量、受験技術の優劣が教育の流れを支配している。落ちこぼれの人たちを救わねばならない。人は皆よくなろうとしている。これは落ちこぼれた人たちの魂の叫びである。この学校の設立が世に現れたときの反響は驚異的であった。

 全国紙は大きなスペースをあてて大々的に報じた。「落ちこぼれ集まれ」、「六年、全寮教育で再生」、「群馬山中、春に開校、学者たちの夢が実る」、このような文字が躍った。そして次のような解説文である。「激しい受験戦争の中で落ちこぼれてゆく子どもの姿を見るにしのびず、草津温泉の近くに全寮制の六年制中高校を建て、自らも先頭に立って人間回復の教育にあたる」と。本吉氏の自宅には全国からの電話が嵐のように鳴り響き止むことがなかった。しかし、やがて厳しい現実に突き当たった。期待と現実との差、教育の理念とそれを遂行する方法をめぐる考え方の違い、白根の山奥という厳しい自然環境、新しい事業に対する行政の戸惑い、これらが複雑にからみあって静かだった白根の山中は人々の熱い感情がぶつかり合う戦場と化した。学校設立の認可は遅れ、見通しが立たず、遂に入学金返還の訴訟にまで発展しマスコミも一転して非難の側に回った。四面楚歌、絶望の中で本吉氏は私に意外なことを語った。「百キロ競歩です。旧制中学校の時限界に挑戦して気力で完歩した経験です。あれを思い、きっと出来ると思って頑張りました」。現理事長は私を紹介する中でかつて私が百キロ競歩に挑戦したことに触れた。私は途中挫折したが周平は3度完歩して開善賞を得た。周平は生きる力を今実践し大きく成長している。(読者に感謝)