人生意気に感ず「ふるさと塾は燃えた。奇襲の成功はアメリカを一つにする大義名文となった。太平洋での | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「ふるさと塾は燃えた。奇襲の成功はアメリカを一つにする大義名文となった。太平洋での

◇連日のハードなスケジュールで身体は疲れていたが爽快な気分で完投できた。22日のふるさと塾である。気持ちを奮い立たせたのは山本五十六のストーリーである。ホワイトボードに二枚の絵を描いた。フリーハンドで太平洋の図を描くことは人々の心を引きつける。画面の下部にオーストラリアの上部が。大きな湾曲の右手に突き出たヨーク岬半島、その上に怪物のように横たわるのがニューギニア島である。湾の中央をニューギニアを貫いて縦に走る線は東経140度の経線で先へ延ばせば東京に至る。「これが赤道です」そう言ってニューギニアの少し上に東西の赤い線を引いた。ニューギニアには右手にニューブリテン島とブーゲンビル島を描く。「ここがニューブリテンのラバウルで北に辿るとトラック島で日本海軍の重要な根拠地がありました。山本は視察のためここを飛び立ちラバウルに至りブーゲンビルに向った時、米軍機に撃ち落とされました」こう説明した時、私の胸にはかつてニューギニアを慰霊で訪れた時の戦跡の光景が甦っていた。もう一つの図は1941年12月8日未明、真珠湾に向けて183機の攻撃隊が飛び立った時の説明である。北海道の北に国後、択捉の二島が並ぶ。この択捉(エトロフ)のヒトカップ湾から出撃したのだ。大きな課題は途中発見されないか、真珠湾に米の艦船が集まっているかであった。山本の賭けには大きなリスクがあったのだ。山本の胸には気になっていることがあった。必ず直前に事前通告することである。「大丈夫だろうな」と何度も念を押した。山本は比べものにならない国力の差を知っていた。だから長期戦になれば勝利は有り得ない。奇襲で決定的な打撃を与え国民の戦意を喪失させ講話に持ち込まねばと信じていた。旗艦長門からトラトラトラ「我奇襲に成功せり」の暗号電報が届く。ルーズベルト大統領は日本の騙し討ちを厳しく非難し国会は燃え上がった。事前通告なしの奇襲はアメリカを一つにして日本と戦う大義名分を与えてしまった。大統領は直ちに日本に宣戦布告しここに太平洋戦争は始まった。ハワイ沖の空母にいた大石参謀は日誌に書いている。「わずか一時間半で米戦闘部隊とハワイ空軍をせん滅せり。これぞ武人の最大の本懐なり」と。日本中が狂喜した。この日の塾は太平洋戦争の認識を深めるのに役立ったに違いない。ホワイトボードの地図を改めて強調した。太平洋の波が新たに高くなっている。その中心は米中の対立である。日本の役割と使命は大きい。(読者に感謝)