死の川を越えて 第5回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

死の川を越えて 第5回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「湯の川地区の開村は先日話したように明治20年。実は、開村といってもそれまでにいろいろあった。温泉街、つまり本村と分離されこの地に追われるようにして始まった新しい村じゃ。開村といっても、この年、この地に移った患者の家はわずか4戸であった。わしが言いたい重要なことは、ここからハンセン病患者の手で一歩一歩、新しい村の形をつくっていった事実じゃ。翌年には、患者が経営する患者専門の宿屋、小田屋、鳴風館などが移り、30人余りの小集落となった」

「小田屋は俺んとこだ」

 権太が叫んだ。

 すると、すかさず正男が言った。

「鳴風館は俺が働いている」

 万場老人は、それを目で受け止めながら続ける。

「この辺りには幸いの湯があったが、集落の人々はこれを殿様の湯に改名し、また、頼朝神社を集落内に建て氏神とした。殿様の湯は源頼朝が入ったと伝えられ、頼朝神社は頼朝を祭った祠に由来する。頼朝は、公家に代わる力強い武士の社会を築いた改革者じゃ。湯の川の人々は、改革者としての頼朝に、苦難に立ち向かう自分たちの姿を重ねたに違いない。これらの努力は、立派な自分たちのとりでを築きたいという人々の覚悟を示すもの。そして、集落の人々の心を一つにするために大きな意味を持ったに違いない。湯の川地区をつくった人々には開拓者の根性と使命感があったと思う。わしは、かのアメリカのピルグリム・ファーザーズを思い出す」

「先生、何ですか、そのピルグリム何とかとは」

 正助は不思議そうに尋ねた。

 

つづく