人生意気に感ず「清光寺住職の興味ある法話。旧優生保護法の残虐性。臓器移植と知的障害者」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「清光寺住職の興味ある法話。旧優生保護法の残虐性。臓器移植と知的障害者」

◇5月が終わる。6月の重要な行事楫取素彦顕彰会の総会が迫った。コロナ禍もあり長く中断していた行事。混乱の社会で群馬県の原点をという声が多くあり気にかけていた。楫取と縁が深い浄土真宗の清光寺で先日興味深い住職の法話に耳を傾けた。生命の尊重を宗とする宗派は間引きを行わなかった。そして、長子相続であったため次男三男などで関東に出た人々も多かったという。清光寺の関係者も北陸とつながる人が多いとか。私の祖先も福井県である。

◇生命の尊重を踏みにじる旧優生保護法に関する最高裁の判断が下される。本人の同意なしの強制不妊手術が多く行われた。人権侵害の極致ともいうべき出来事。法の主な目的は不良な子孫の出生防止である。旧法下で同意のない手術は約1万6500件だった。注目すべきはこの法律が1948年に成立したことである。人権の尊重を最大の使命とする日本国憲法の施行は前年の1947年であった。ナチスの残虐行為を思わせる。人権侵害とは別に除斥期間の適用の可否が問題となっている。除斥期間とは権利関係を速やかに確定されるために設けられた権利の存続期間である。ある原告の代理人弁護士は「戦後最大の人権侵害が20年過ぎただけで無罪放免になるのか」と除斥期間の適用否定を訴えている。高裁段階の判決には除斥期間の適用は著しく正義、公平の理念に反するというものがあった。70代である原告の一人は16歳の時、手術を受けさせられたと語る。29日最高裁正門前には傷害のある人と支援者が傍聴券を求めて列をなした。判決は夏にも言い渡される。

◇臓器移植によって多くの人が救われている。提供者の崇高な精神には頭が下がる。ところで提供者の意思が尊重されるべきは当然でありその意思が正常な判断力に基づくべきことも言うまでもない。ここで知的障害者の意思表示に関して重要な問題の存在が明らかになった。それは臓器移植あっせん機関が知的障害の療育手帳を持つ人の臓器提供の意思表示を一律に無効とする運用をしていたことだ。厚労省は手帳を持つことのみを理由に一律に判断しないよう徹底を求める通知を出した。知的障害の程度は個人差が大きい。これまでに一律の運用により提供しようとする意思がいかされなかった可能性がある。同時に提供により救われたであろう人々の健康を犠牲にした可能性も存在する。運用を誤った関係者の責任は大きい。人権感覚の欠如及び知的障害者に対する理解の不足というべきだ。療育手帳には障害が重度か否かも記されている。(読者に感謝)