人生意気に感ず「戦艦大和の沈没は無駄だったのか。なぜ最高の戦記文学か」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「戦艦大和の沈没は無駄だったのか。なぜ最高の戦記文学か」

◇『戦艦大和の最期』を読んだ。大和の生還者吉田満の作品。カタカナの文語体の文面が真実に迫力をつけ想像力をかき立てる。かねて聞いていた名作であるが単なる作家による物語ではない。「断末魔」の大和と行動を共にし奇跡的に生還した兵士の体験談である。阿川弘之の戦記物(井上成美・米内光政)を読んで戦艦大和を読みたくなった。大和に沖縄への出動命令が下ったのは1945年4月3日。既に沖縄本島に米軍が上陸し、次は本土決戦という状況であった。大和の幹部たちは艦長以下勝ち目のない自殺行為に断固反対だった。中央作戦本部の大和出動の真の狙いは巨艦をおとりとして使うことであった。限りない米軍機を引き寄せ長時間沖縄に釘づけにする。これを囮(おとり)と称した。そうすることによって本土決戦の時間稼ぎをしようとしたのだ。それでも大和側は納得しなかった。そこで中央は連合艦隊参謀長などを特使として派遣し説得にあたった。大和の艦長は必死の説得にも納得できず、美辞麗句の命令の背景にある真の作戦目的は何かと迫った。それに対し特使は「一億玉砕に先駆けて立派に死んでもらいたい」と答え、艦長側は納得した。

 大和の総乗組員は3,332名であった。吉田満は東大生で学徒出陣であった。

 本部が描いた「おとり」作戦は功を奏さなかった。空を黒く覆い尽くした米機は百機以上、一波が去ると二波三波と続きその間絶えず魚雷が船腹を抉る。遂に第六波、七波、八波に至る。艦上は血の海、阿鼻叫喚の地獄と化し、巨艦は傾き続ける。「浸水間近、浸水近し」と切迫した声。不沈の巨艦は今や水面をのたうちまわる絶好の爆撃目標であった。副長は艦長に告げた「傾斜復旧の見込みなし」。艦長は近くにいる参謀や士官と視線を交わし、数名と握手し艦橋直下の長官私室へ入った。その後沈没までその扉は開かなかった。

 満身創痍の巨艦大和は積んでいた砲弾と火薬によって自爆した。その火柱は鹿児島から見えたと新聞は報じた。吉田は巨大なスクリューに危うく巻き込まれそうになった。漂流中救助の駆逐艦に拾われる。治療室への廊下は死体の山。麻酔もなく脚を切断する光景。著者吉田はこのような生々しい体験をありのままに刻み自分及び社会の再出発の基礎にしようとしたと思われる。そして亡くなった多くの仲間への鎮魂の心もあった。太平洋戦争最高の戦記文学と言われる。なぜ最高なのか。極限に於ける生と死との対決を極限の心理で描くことで文学に昇華させたからだ。(読者に感謝)