シベリア強制抑留 望郷の叫び 一七一 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一七一

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 朝日新聞は、品川駅から再び上野の大会に出るといって乗り込む男を加速が泣きながら引きおろす様子、「来ない者がいるぞ」「後で吊し上げだ」と叫ぶ声などを報じている。

 妻や肉親との再会を悲願としてあらゆる苦難に耐えてきた人々が、同じようにこの瞬間を夢にまで見て待ち焦がれていた家族を振り切って赤旗と労働歌の中へ進んで行く姿はまさに異様であり、家族には言い知れぬ衝撃を与え、一般の日本人には全く理解できないことであった。赤旗の国で何があったのか、日本中の人々が不思議に思った。

 また、七月五日の各紙は、千七百人の引揚者が京都駅で、乗車を拒否して座り込んだことを報じている。これは、京都駅前の集団デモ行進禁止の市条例に違反した共産党員が検挙されたことに対する抗議行動である。

 このようなトラブルは引揚者が入港する度に、また、引揚げ列車が日本各地の駅に到着する度に起きていた。

 これに対して、当時の増田官房長官は、七月六日、大要、次のような談話を発表する。

「ソ連帰還者諸君、我々は、あらゆる準備をして諸君を待っていた。我々は、諸君が今こそ、正しい認識と理解をもって祖国の現状を直視されることを切望する。諸君が入港されてからそれぞれの郷里に帰られる途上、自由の発言について制裁を受け、仲間から疎外され、命ぜられるままに踊り、歌わされ、発言し、祖国の国旗に対してすら自由な感情の表現を拒否されたと聞く。諸君、これで自由な平和日本の建設ができようか。我々は、諸君が祖国の地を踏まれた今日、今までの脅迫と威嚇の残像を直ちに棄てられ真に明朗な日本人と成られることを心からこい願う。そして諸君がその多数の同胞と共に平和日本民主日本建設のために新しい出発をされることを我々は堅く信じて疑わない」(昭和二十四年七月六日付の朝日新聞)

 そして、この年八月には、政府は引揚業務が秩序正しく行われるように政令を出し、引揚げ者は、指定列車に乗って秩序正しく帰郷すべきこと、引揚げ者がこれに違反するように圧迫したり、そそのかしたり、あおったりしてはならないこと、違反者には一年以下の懲役または一万円以下の罰金、等を定めた。

つづく