シベリア強制抑留 望郷の叫び 一五八 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一五八

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 また、日本人の側面として述べる、次の部分は痛烈である。これは図らずも「民主運動」を、その本質をつきながら通説に批判している。

「日本人捕虜の中に浮薄な、マルクス・レーニン主義理論を安易に信じ、天皇制打倒を先頭に立って叫ぶ者、食料ほしさに仲間を密告する者、ソ連当局の手先になって特権生活を営む者なども多く、この点も日本研究者である私にとって、日本人の別の側面を垣間見せてくれた」

 戦後半世紀意所が経ち、あの戦争がすっかり遠くなった。そして戦争を知らない人々が大半を占めるようになり、人々は平和と飽食の中で今を楽しんで生きている。しかし、日本の社会は、さまざまな難問を抱え、国の危機が叫ばれている。この危機の一因は、日本人の心の問題ではなかろうか。

 戦後、瓦礫の中から立ち上がった時、最大の目標は食べること、つまり物質的な豊かさだった。そして、遂にこの豊かさを手に入れてみると、豊かさというものは素晴らしいということになり、日本人は皆、物の豊かさに酔った。しかし、やがて物の豊かさはそれだけでは人を幸せになるものではないことを思い知らされる。

 今日の日本の社会は、物欲万能の底なし沼に足を踏み入れたようだ。物欲はさらに大きな物欲を生み、金のためには他人はおろか、妻や夫も手にかけるという信じられない事件が日常のように起こるようになった。青少年の凶悪事件の多発、少女の援助交際等々、これらも豊かさに目が眩んで正しい目標を失った今日の社会状況が背景となっている。戦後、社会を再建するための理念をしっかりと確率しなかったことのツケを今突きつけられているのだ。

 シベリア強制抑留で苦しんだ日本人の姿は、今日の私たちの対極にあるものである。衣食足りて礼節を知るという諺があるが、「衣食」不足の極限にあっては、人は人間の姿を貫くことが難しい。また、「衣食」が足り過ぎた中でも、人間の尊厳を貫くことが難しくなる。まして、人間としてのしっかりとした歩みを支える「心の文化」が定着していない場合には、このことが言える。シベリア抑留と今日の社会は、このことを私たちに教えてくれる。

つづく