シベリア強制抑留 望郷の叫び 一五二 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一五二

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

「我慢しろ、手を出すな、すべてが無駄になるぞ」

 引きずり出されてゆく年配の日本人の悲痛な声が、ソ連の怒鳴る声の中に消えてゆく。柱やベッドにしがみつく日本人をひきはがすように抱きかかえ、追い立て、ソ連兵はすべての日本人を建物の外に連れ出した。収容所の営庭で、今、改めて勝者と敗者が対峙していた。敗れた日本人の落胆し肩を落とした姿を見下ろすソ連兵指揮官の目には、それ見たことかという冷笑が浮かんでいた。

 ソ連がこのような直接行動に出ることは、作業拒否を始めたころは常に警戒したことであるが、断食宣言後は、まずは中央政府の代表が交渉のために現れることを期待していたので、予想外のことであった。

 ついに会見のときが来た。石田三郎は、ポチコフ中将の前に立っていた。中央政府から派遣されたこの将官は、あたりをはらう威厳を示してイスに腰掛けていた。石田三郎は敬礼をし、直立不動の姿勢をとって、将官の目を見つめていた。しばし緊張した沈黙の時が流れた。この人物がソ連の中央政府の代表か。そう思うと、かつて満州になだれ込んだソ連軍の暴虐、混乱の中に投げ込まれた兵士や逃げ惑う民間人の姿、そして長い刑務所や収容所のさまざまな出来事が、瞬時に石田の胸によみがえった。

 再び、戦いに敗れてここに立っていると思いながらも、今、ポチコフ中将を前にして、気付くことがあった。それは、兵士が収容所に踏み込んだ時、白樺の棍棒を持ち、銃は使わなかったことだ。石田の胸にずしりと感じるものがあった。石田三郎は、日本人の誇りを支えにして貫いてきたこの長い闘争を改めて思った。こみ上げる熱いものを抑え、彼は胸を張って発言した。

「私たちがなぜ作業拒否に出たか、そして、私たちの要求することは、中央政府に出した数多くの請願書に書いたとおりでありますが、改めて申し上げると・・・」

「いや、主なものは、読んで承知している。改めて説明しなくもよい。いずれも、外交文書としての内容を備えている」

 

つづく