シベリア強制抑留 望郷の叫び 一五一 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一五一

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 収容所の提供する食料を拒否し、乾パンを一日一回、一回に二枚をお湯に浸してのどを通す。空腹に耐えることはつらいことであるが、零下30度を超す酷寒の中の作業をはじめ、長いこと耐えてきたさまざまなつらい辛苦を思えば我慢することができた。そして、これまでの苦労と違うことは、ソ連の強制に屈して奴隷のように耐えるのとは違って、胸を張って仲間と心を一つにして、正義の戦いに参加しているのだという誇りがあることであった。

 一週間が過ぎたころ、収容所に異質な空気がかすかに漂うのを日本人の研ぎ澄ました神経は逃さなかった。静かな緊張が支配していた 

 三月十一月の午前5時、異常事態が発生した。夜明け前の収容所は、まだ闇につつまれていた。凍土の上を流れる気温は零下35度、全ての生き物の存在を許さぬような死の世界の静寂を破るただならぬ物音に、日本人は、はっと目を覚ました。人々は反射的に来るものが来たと直感した。

「敵襲」、「起床」

 不寝番が絶叫する。

「ウラー、ウラー」

 威嚇の声とともにすさまじい物音で扉が壊され、ソ連兵がどっと流れ込んできた。

「ソ連邦内務次官ポチコフ中将の命令だ。日本人は、戸外に整列せよ」

 入口に立った大男がひきつった声で叫び、それを並んで立つ通訳が日本語で繰り返した。日本人は動かない。ソ連兵は手に白樺の棍棒を持って、ぎらぎらと殺気だった目で大男の後ろで身構えている。大男が手を上げてなにやら叫んだ。ソ連兵は、主人の命令を待っていた猟犬のように突進し、日本人に襲いかかった。ベッドにしがみつく日本人、腕ずくで引きずり出そうとするソ連兵、飛び交う日本人とロシア人の怒号、収容所の中は一瞬にして修羅場と化していた。

「手を出すな、抵抗するな」

 誰かが叫ぶと、この言葉が収容所の中でこだまし合うように、あちらでもこちらでも響いた。長い間、あらゆる戦術を工夫する中で、いつも合い言葉のように繰り返されたことは、暴力による抵抗をしないということであった。今、棍棒を持ったソ連兵が扉を壊してなだれこんだ行為は、支配者が権力という装いを身につけて、その実むき出しの暴力を突きつけた姿である。暴力に対して暴力で対抗したなら、さらなる情け容赦のない冷酷な暴力を引き出すことは明らかなのだ。そうなれば、すべては水の泡になる。予期せぬ咄嗟の事態に対しても、このことは日本人の頭に電流のように走った。

つづく