人生意気に感ず「命じられた毒薬を土に埋めた亀作さんの勇気。世界は再び戦争に向うのか」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「命じられた毒薬を土に埋めた亀作さんの勇気。世界は再び戦争に向うのか」

◇岩田亀作さんの生涯を是非多くの人に知って欲しい。そういう強い思いで弔辞の要点を再現することにした。

「岩田さん、あなたの人生が偉大なのは一〇五年という長さだけではありません。それは極限の苦難の中を人間としての信念を曲げずに見事に生き抜いた素晴らしさにあります。あなたは繰り返しニューギニア戦のことを話してくれました。今、あなたの遺影の前に立って、ダンピール海峡のこと、サラワケット越えのこと、そして毒薬を土に埋めた野戦病院のことが私の胸に甦っています。

 ニューギニアの過酷な戦場は生きて帰れぬニューギニアと言われました。第二次大戦も末期が迫って、日本軍は制空権を失い米軍機のなすがままの状態でした。海に投げ出された亀作さんは機銃掃射する米軍兵士の顔が見えたと言いました。あなたはサメが群れる海を三時間も漂流し救われました。海面を埋め尽くした人々の中で、亀作さんの部隊では一七五名中、生還できたのは十一名でした。

 亀作さん、あなたの体験談の中で最も胸を打つのは、ラエの野戦病院の出来事です。正に地獄でした。負傷者の傷口には赤いウジが動き回り、麻酔のない状態で大腿骨をノコギリで切断したそうです。ひとかたまりになって手榴弾で自決する人、発狂する兵士、そんな中で衛生兵のあなたは上官からあるものを渡されました。〈これを二粒ずつマラリアの薬と言って飲ませよ〉。毒殺の命令でした。

亀作さん、あなたは目の前が真っ暗になり、どうしてこの手で二百名もの戦友を殺さなければならないのかと苦しみました。玉砕命令には〈生きて捕虜となる者一人もあるべからず〉と定められていました。

あなたは銃爆撃に吹き飛ばされ地べたに叩きつけられ、夢中で毒薬を土に埋めたのです。

 私は亀作さんの勇気ある決断は、兵士を消耗品のように扱い、人間性を否定した日本軍の中で一つの救いであるとほっとしたものを感じます。

 私は平成十三年十月、パプアニューギニアを慰霊巡拝しました。そして、ラエ市内の一角にある日本兵の慰霊碑に手を合せて祈りました。そこは亀作さんが泳いだダンピール海峡や毒薬を埋めた野戦病院の近くでもありました。私は亀作さんの胸中を思い、涙を流しました。

 あれから二十三年が経ちました。世界情勢は変化し、また戦争が各地で行われるようになりました。過酷な戦場で人間性を守ろうとしたあなたの行動は、貴重な教訓として受け継がれなくてはなりません。あなたが命がけで守ろうとした人の命、それは平和によって支えられねばなりません。私はそれをしっかり守っていく決意です。

亀作さん、安らかにお眠り下さい。

 

    中村 紀雄」

(読者に感謝)