シベリア強制抑留 望郷の叫び 一四五 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一四五

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 いくつもの抑留者の手記で述べられていることであるが、戦いに敗れて、同じように強制労働に服していたドイツ人は、収容所側の不当な扱いには、毅然とした態度をとったという。また、ある手記によれば、メーデーの日に、日本人が赤旗を先頭に立てて祝賀行進していると、一人のドイツ人捕虜の若者が、その赤旗を奪い取って地上に投げ、「日本の国旗は赤旗なのか」と怒鳴った。この若者は同じようにソ連から理不尽な扱いを受けている仲間として日本人が、共通の敵に対して尾を振るような姿を許せなかったのであろう。

 

八 請願運動の実態

 

 石田三郎を中心とする日本人は、知恵をしぼり、あらゆる手段を尽くして闘った。しかしソ連側おしたたかで、闘いは長期化していった。闘争手段の主たるものは、中央政府に請願書を出す運動であり、これに多くの精力が傾注された。代表名で多くの請願書が書かれ、また、各個人が精魂込めて文を書いた。そのために、密かに用意した大量の紙がすべて使い果たされるに至った。しかし、これらの請願書は、中央に届けられることなく、握りつぶされていたことが後に分かるのである。

 ここで、請願闘争の実態を知るために代表名と個人名の請願の中から各一例ずつ、その要点を示して紹介する。

 

つづく