人生意気に感ず「東大研究室で林健太郎先生を拝す。先生は県民会館で語った。173時間の闘い」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「東大研究室で林健太郎先生を拝す。先生は県民会館で語った。173時間の闘い」

◇過日、久しぶりに本郷の東大構内を歩いた。目的は書籍部で東大出版会のある本を捜すことであった。正門から入ると正面に安田講堂がそびえるように建ち、左右には法文系の古式色蒼然たる建物が並ぶ。それは学問と国家権力が複雑に絡み合った姿にも見えるし、かつての東大紛争を知る者には強者どもの夢の跡とも見えるだろう。銀杏並木を若い男女が屈託のない笑い声で歩いている。私がいた西洋史研究室は右手の建物の一角にあった。若い教授と数人の学生は先輩として私を迎え入れてくれた。私の目的は、今は故人となった林健太郎先生の写真に接することであった。しげしげと林先生を見詰める姿に若者たちは興味深げな様子。そこで、林先生との関係を話した。東大紛争の時の林先生のこと、私が群馬の県議選で金も地盤もなく立候補したとき先生は手弁当で駆けつけてくれたこと、等である。

 その端正で静かな顔立ちからは内に秘められた強さは想像できない。東大紛争の時、文学部長だった先生は学生たちによって軟禁状態にされた。173時間、筋を通した主張を少しも曲げなかった。機動隊の救助の申し出に対しては「私の救出のための出動は無用、只今学生を教育中」というメモが届けられた。林先生は遂にドクターストップの状態で救出されたが文学部長室の壁には学生たちの手による「林健太郎に敬意」という文字が貼られていた。多くの教授たちの狼狽ぶりが酷かっただけに林先生の侍ぶりが際立ったのだ。「偉大なる教育者」と讃えられたのは当然である。その後先生は東大総長になられた。群馬県民会館の集会には元東大総長の肩書きで来られた。「元東大総長来たる」のポスターと共にこのことが世間に知られた時、先生のところへなぜ中村の応援をするのかと何か理由をつけた抗議が届いたと言われる。先生は動じなかったし、このことは一言も私に話すことはなかった。ひょんなことから私の耳に入ったのだ。県民会館(現ベイシア文化ホール)で先生は言われた。「中村君は東大で本格的に歴史を学びました。政治家には歴史の素養が必要です。歴史を活かした政治家になって欲しい」。不肖の弟子は先生の言葉を裏切らぬことを念じて愚直に走り続けて83歳を迎えた。私は未だ人生の幕を下ろす気はない。体力と気力が「まだまだ」と叫んでいる。現在未曾有の歴史的事実が迫っている。首都直下、南海トラフ等の巨大地震である。現在進行中の能登地震はその前兆と捉えるべきだ。政治不信と重なり日本が危機にある。(読者に感謝)