シベリア強制抑留 望郷の叫び 一四四 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一四四

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

「いかなることがあっても、浅原グループに手を加えてはならない。それは、ソ連側の実力行使の口実となり、我々の首をしめる結果になる」と、逸る青年を代表部は必死に抑えた。

 収容所側は、この空気を憂慮して、ついに浅原グループを全く分解する方針をとるに至った。しかし、このような対応のしこりは消えることなく、後に帰国船興安丸の船上で、青年たちは浅原たちを本気で海に投げ込もうとしたほど、根深いものであった。これは、別に取り上げる「民主運動」なるものが、いかに日本人の心を傷つけたかを物語るものであった。

 

 

七 日本人を「意気地なし」と軽蔑した外国人

 

 日本人が結束して闘う姿は、同じ収容所の外国人を驚かせた。ハバロフスクには、中国人、朝鮮人、蒙古人がかなりの数、収容されていたが、彼らの代表がある時、闘う日本人を訪ねて共闘を申し込み、こう発言したという。

「私たちはこれまで、日本人は何と意気地がないのかと思っていました。日本に帰りたいばかりに、何でもソ連の言いなりになっている。それだけでなく、ソ連にこびたり、へつらったりしている。情けないことだと思いました。これが、かつて、私たちの上に立って支配していた民俗か、これが日本人の本性かと、実は軽蔑していました。ところが、この度の一糸乱れぬ見事な闘いぶりを見て、私たちが誤っていた。やはり、これが真実の日本人だと思いました。私たちもできるだけの応援をしたい」

 石田三郎たちは、この言葉に感激した。そして、これまでの自分たちが軽蔑されるのは当然だと思った。ソ同盟万歳を叫び、赤旗を振って労働歌を歌い、スターリン元師に対して感謝状を書くといった同胞のこれまでの姿を、石田三郎は改めて思い返し、日本人収容者全体の問題として恥じた。

 

つづく