シベリア強制抑留 望郷の叫び 一四二 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一四二

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 六 感激の正月を迎えて・浅原グループとの対決

 

 石田三郎たちは、ソ連に連行されてから十一回目の正月を闘争の中で迎えた。打開策も見つからず、闘争の行方については大きな不安があったが、今までの正月にはない活気があふれ、収容所の日本人は大きな喜びに浸っていた。

 正月づくりに取り組む日本人の表情は明るかった。日本の正月の姿を少しでもここシベリアの収容所の中に実現しようとして、人々は前日から建物の周りの雪をどけ、施設の中は特別に清掃された。器用な人は、門松やお飾りやしめ縄まで代用の材料を見つけてきて工夫した。各部屋には、紙に描かれた日の丸も貼られた。懐かしい日の丸は、人々の心をうきうきさせた。作業に取り組む日本人の後ろ姿は、どこか日本の家庭で家族サービスするお父さんを思わせるものがあった。それは、自らの心に従って行動する人間の自然の姿であった。

 石田三郎は、『無抵抗の抵抗』の中で、ソ連に連行されてから、この正月ほど心から喜び、日本人としての正月を祝ったことはなかった、それは本来の日本人になり得たという、また、民俗の魂を回復し得たという喜びであった、と述べている。

 元旦の早朝、日本人は建物の外に出て整列した。白樺の林は雪で覆われ、林のかなたから昇り始めた太陽が、樹間を通して幾筋もの陽光を投げていた。人々は、東南に向かってしばらく頭を下げ、やがて静かに上げると歌い出した。「君が代は、千代に八千代に・・・」

 歌声は次第に高まり凍った白樺の木々を揺るがすように広がってゆく。人々は、故郷の妻や子、父母や山河を思って歌った。人々の頬には涙が流れていた。とどろく歌声は、人々の心を一層動かし、歌声は泣き声となって凍土に響いた。苦しい抑留生活が長く続く中で、今、時は止まり、別世界の空間が人々を包んでいた。

 

つづく