人生意気に感ず「天安門の原稿没収事件。反スパイ法、逮捕者リスト。天安門事件を語る」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「天安門の原稿没収事件。反スパイ法、逮捕者リスト。天安門事件を語る」

◇20日のミライズクラブは私が担当講師で、天安門の出来事を語った。天安門で書類を没収されたことが人々の関心を集めたのだ。現在の中国の特殊な状況を語る良い機会と思い引き受けた。そこで反スパイ法、天安門事件などを踏込んで話した。11月10日、夜明け前の広場は人々の黒い影が動き、隊列を組んで動く兵士の姿が緊張感を高めていた。1989年の流血の惨事、天安門事件が甦る。人々の目的は日の出に合せて行われる国旗掲揚の儀式である。彼方に毛沢東の姿を掲げた天安門が赤く浮き上がっている。1949年毛沢東はここで中華人民共和国の建国を宣言した。毛沢東のカリスマは衰えず覇権を広げる中国の象徴の感がある。入場者のチェックは厳しく金属探知機の後、ボディチェックが行われた。内ポケットにその日日本へ送る原稿用紙が発見され何の文書かという事になった。反スパイ法は国家の安全に危害を及ぼす活動をスパイ行為とし、国の安全と利益に関わる文書には特に厳しい目が注がれていた。外国人が文書によって敵国に重要な情報を発信すると見たのか。現場の公安官は職務に忠実である。日本はアメリカと同盟する敵国と思っているのだろう。「これには何が書いてありますか。説明して下さい」。一緒にいた通訳・黄さんの鞄の中も調べられた。黄さんは日中友好協会の行事に参加していることを必死で説明。何人かが私の原稿を検討している。解放された時はほっと胸を撫で下ろした。

 ミライズの席で反スパイ法による日本人拘束、逮捕事件リストを紹介した。皆が驚いている。2015年5月から昨年3月までの16件である。懲役12年が3件、6年が2件などと並ぶ。非公開、非民主的な手続きで裁判は行われる。

◇話は天安門事件に進む。年輩の人ならあのタンクマンの光景を覚えている。戒厳令下、戦車(タンク)の前に立ちはだかった男のことだ。会員は天安門事件はなぜ起きたか、そして死者の数を知りたがっていた。それは一党独裁体制の行方を知る上でも重要である。

 天安門事件の少し前から世界各地で民主化の動きが盛んになっていた。特筆すべきことは旧ソ連のペレストロイカである。これは再編立て直しのことで、1986年以降ゴルバチョフ政権の下で行われた民主化政策である。これとほぼ時を同じくして中国でも民主化が始まった。その推進役は中央委員会総書記胡耀邦(こようほう)等で言論の自由化を推進した。これに鄧小平等は強く反対。一党独裁が崩れるというのだ。(つづく)

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