シベリア強制抑留 望郷の叫び 一三十 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一三十

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

第五章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の真実

 

 シベリア強制抑留の真実を語る上で、ハバロフスク事件に触れないわけにはいかない。それは、奴隷のように扱われていた日本人が誇りを回復し、意地を見せた見事な闘いだったからだ。また、日本人とは何かを知る上でも重要だからである。

 最近、ロシア人の日本人研究者がこの事件を「シベリアのサムライたち」と題して論文を書いた。「サムライ」とは、私たちが忘れていた懐かしい言葉である。この事件を知って、私は日本人としてよくぞやってくれたと、胸の高鳴りを覚えるのである。

 昭和三十一年八月十六日付の産経時事は、「帰ってくる二つの対立 ― 興安丸に反ソ派とシベリア天皇 ―」という記事を載せた。それには、帰国船内または舞鶴で乱闘騒ぎや吊し上げなどの不祥事が起こる可能性が強いこと、二つの対立グループには、一方の反ソグループにハバロフスク事件の黒幕的な存在として知られる元陸軍中佐瀬島龍三が、他方には親ソ派で湿りかの天皇として恐れられた浅原正基がいること、帰還促進会事務局長談として、「浅原のように日本人を売った奴は生かしてはおけないといっている帰還者がいるから、何が起こるか心配している」という記事が載せられている。

 またこの記事は、問題のハバロフスク事件については「ソ連の待遇に不満を抱き、昨年十二月十九日の請願サボタージュで、犯行の口火を切ったハバロフスク事件は、去る三月ハンストにまで及んだものの、ソ連の武力鎮圧により、同十一日はかなく終幕、四十二名の日本人が首謀者としていずれかへ連行され、一時、その消息を絶った」と報じている。記事は簡単であるが、事件の内容と結果は重大なものであった。事件からおよそ半世紀が経つ。この事件の重要性にもかかわらず、今日の日本人の多くは、この事件を知らない。

 

つづく