シベリア強制抑留 望郷の叫び 一二七 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一二七

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 ある時、ソ連が世界各国の人をモスクワに招いて経済会議を開くことを企画し、石橋湛山ら財界指導者にも招待状が出されていることを知った。実は、高良とみはこの訪ソの話しを聞く直前にパリにおけるユネスコ会議への招待状を受け、すでにパスポートを手にしていたので、訪ソ団に加わり、パリからソ連に入り日本人抑留者の問題を調べたいと願った。

 運良く訪ソ団に加わることになったが、政府は講和条約発効を前に、アメリカとの関係を心配してソ連へのパスポート発行を認めない。そこで、高良とみは単身パリのユネスコ会議へ向けて出発した。

 ユネスコ会議を終えた高良とみは、何としてもソ連に入りたいと思い、パリ駐在の日本人外交官に懇願し協力を求めたところ、モスクワへ入る方法が見つかった。パリのデンマーク大使館が力を貸してくれることになったのだ。とみはデンマーク大使館に出向き熱い胸のうちを詳しく話した。デンマーク大使館はとみの姿に打たれて仲介役として動いた。ソ連は高良とみをモスクワ経済会議に出席させるということで受け入れることになったのである。ここでもとみの英語力が大いに役立った。自分の心を正しく伝えるには、通訳を介さずに直接語ることが何より効果的なのだ。

 モスクワのホテルに着くとソ連政府の役人がやって来て、東京とワシントンでは大騒ぎになっている、そして、吉田首相とアメリカの大統領もかんかんに怒っていると話した。コペンハーゲンにいる朝日新聞の記者から電話が入り、日本人として初めて鉄のカーテンを越えた高良とみに、ぜひインタビューをしたいという。とにかく、高良とみのソ連訪問は、世界の大ニュースになっているらしかった。しかし、日本人抑留者を助けたいという彼女の信念は少しも揺るがなかった。

つづく