人生意気に感ず「重監房の衝撃。人権の碑に込められた差別と偏見を排除する思い」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「重監房の衝撃。人権の碑に込められた差別と偏見を排除する思い」

◇12月15日の重監房資料館運営委員会に私は緊張した気持ちで臨んだ。人権無視の極致、その象徴たる重監房の存在意義をしっかり受け止めねばという思いがあったのだ。運営委員会の役割は重い。一般の行政に関する委員会のように表面的に流れていくのであっては重監房の歴史が泣く。

 事務局が活動報告等を行った。入館の状況が説明されるのを聞いて、学校関係がかなりあることに注目した。具体的に校名とその人数があげられているのもあった。草津中学校2年生28人、六合中学校17人などだ。この若者たちの胸に重監房の悲劇がどこまで伝えられたであろうか。私の懸念は人権の碑及び堕胎児の碑が十分に説明されたかという点である。かつて人権の碑建設委員長として関係者と一語一句を検討した会議が甦った。その文面を敢えてここに再現することにする。

「らい(ハンセン病)に感染した私たちは、百年以上の永きに亘り社会から排斥され、療養所という名の「収容所」に隔離されました。「らい予防法」による終生絶対隔離でした。これにより私たちは自らの名前、かけがえのない家族、そしてふるさとを失い、更には人としての未来を奪われました。正に「人間の尊厳」を剥奪されたのです。(中略)私たちは国と園当局に必死で対峙し、団結して人権闘争を闘い、重監房を撤廃させました。(中略)そして二〇〇一年五月、私たちはついにらい予防法違憲国家賠償訴訟で勝訴しました。一世紀に亘る国の政策が断罪されたのです。私たちは、人間の空を取り戻しました!まさに太陽は輝いたのです!この勝訴によって「人間回復」の道が開かれました。この私たちの勝利を社会に存在する不当な人権侵害を克服するための大切な拠り所にしなくてはなりません。そこで私たちのこの思い(遺言)を「人権の碑」に刻み、「人権のふるさと」栗生楽泉園から平和で人権が尊ばれる社会の構築を切に願うものです。

◇この人権の碑には、「人間回復」、「人権のふるさと」、「平和で人権が尊ばれる社会」の文言にあるようにハンセン病を超えた普遍的な意味が込められている。人間の社会では差別と偏見は永遠になくならない。子どもたちの世界に存在するいじめも根は同じである。この碑を訪れる人に碑文の核心、碑文の魂を伝えることは運営委員の大切な責務である。特別病室、日本のアウシュビッツと呼ばれた重監房でもがき苦しんだ人々を生かすことでもある。(読者に感謝)