人生意気に感ず「親鸞の悪人正機説とは。浄土真宗と清光寺、そして楫取素彦」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「親鸞の悪人正機説とは。浄土真宗と清光寺、そして楫取素彦」

◇18日、浄土真宗の寺・清光寺では特別の法要が行われた。開祖親鸞の命日を記念して住職の特別の法話が行われた。私はカトリックの洗礼を受けた身で、洗礼名もパウロという重いものだが私の心には浄土真宗が深く根ざしている。住職は私の受洗を承知の上で同寺の役員を託する。もっとも浄土真宗とキリスト教には人間の尊重という点で相通じるものがあるのだ。

 私は大学1年の時、笠原一男氏の情熱あふれる講義を聴いた。その中で、心に残る点は新しい宗教は時代の混乱期に現われ20年で勝負が決まる。それは鎌倉期、明治維新、そして戦後の混乱期であるというもの。親鸞及びその師法然がその教えを広めたのは戦乱と災害が渦巻く鎌倉期であった。それまでの平安時代の宗教は華やかな堂宇を建て、難しい経の修業を求めるもので命をつなぐのに懸命な民衆とは離れた存在であった。宗教の役割は無知な民衆を救うことにあるとする動きが起こるのは自然であった。浄土宗を開いた法然は南無阿弥陀仏を唱えるだけで誰でも極楽に行けると説いた。学問も戒律も必要としないという革命的な教えである。清光寺の住職は法然の教えが燎原の火のように広がったと説明した。弟子の親鸞の教えは法然の教えを更に徹底させ戒律を犯した罪深い悪人こそ阿弥陀仏が救おうとしていると説き悪人正機説をたてた。何の条件も付けず、人を殺しても女を犯しても救われるという教えを住職はこの日コペルニクス的と表現した。逆説的にもとれる悪人正機説は煩悩に苦しむ民衆をそのまま救うことが仏の真意だと説いたのだった。越後に流されていた親鸞は許されて関東へ動いた。碓氷峠を越えて赤城方面に出て常陸(今の茨城県)で教化運動を行い、教行信証の執筆を開始したとされる。親鸞はそれまでの仏教が戒律で禁じた妻帯をした。僧に妻帯を禁ずることは人間としての喜怒哀楽を否定することで、いかにも不自然である。僧としての役割を果たすためにも妻帯は必要なことに違いない。私は楫取素彦顕彰会会長として改めて親鸞の存在を振り返った。清光寺の起源は楫取素彦の妻寿子に深く関わる。熱心な浄土真宗の信者寿子が西本願寺の門主に訴えその説教所としてスタートしたのが清光寺だったからだ。ちなみに寿子は吉田松陰の妹である。人を信じずることが難しい時代、人間が機械にとってかわられる社会が広がっている。人間にとって正に危機の時こそ真の宗教が求められる。私はそんな思いでこの日の住職の法話に耳を傾けた。それは私の心に希望の息吹を吹き込むものであった。(読者に感謝)