人生意気に感ず「最後の明王の悲劇と清朝の歴史。天安門上の毛沢東。北京最後の朝を走る」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「最後の明王の悲劇と清朝の歴史。天安門上の毛沢東。北京最後の朝を走る」

◇今回の日中友好交流会議の成果は大きかった。それは自分の存在の小ささを認識したこと及び人との出会い、更には中国の変化と大きさをその歴史と共に肌で感じたことがあった。

 9日、明日は日本へ向うと思うと心は弾む。故宮博物館は何度も訪れたが、明の最後の皇帝崇禎が自殺した場所は初めてで、その場の光景を想像すると胸に迫るものがあった。漢民族が建てた明は満州民族の清に亡ぼされた。破れた明王は処刑されるのを恐れて自ら命を絶った。妃や娘など高貴な人もことごとく切られた。そこまでもと思うが清は新しい支配者の決意を天下に示したのだ。女たちの悲惨な姿は歴史の冷厳な事実を物語っていた。康煕・雍正・乾隆と優れた皇帝が続くがやがて清は烈強の厳しい侵略に晒される。アヘン戦争に破れ、やがて近代日本と遭遇し日清戦争では日本にも敗れた。最後の皇帝溥儀は数奇な運命を辿る。紫禁城の様々な遺物を見ながら私は中華民国の過去と現在を想像した。

10日は、朝、天安門広場で日の出に合せ国旗を揚げる儀式に参加する。今頭にあるのは1949年中華人民共和国の建国を宣言する毛沢東の姿である。その胸には屈辱から立ち上がって民族の栄光を取り戻す決意が溢れていたことだろう。私は上海を訪れた時、その一角に「犬と漢人は入るべからず」とかつて立て札があったという事実を知らされた。租借地を設けたイギリスは漢人を犬以下に見ていたのだ。現在覇権を求める中国の姿が批判されている。今回、日中交流会議で私はそのことに触れた。強引に覇権を進めることは許されないが、習近平主席等指導層の胸の奥には近代の歴史的事実が渦巻いているに違いない。

◇今回の訪中で中国との対立を深めるアメリカの歴史と姿勢を改めて考えた。イスラエルを適切にコントロールできない現実、分断と対立を深める国内事情など。中国の心臓部北京に立って客観的に世界情勢を考えられたことは一つの収穫であった。

◇北京最後の朝を走った。北京時間3時40分。いつもより速いスタートなのは、5時15分に集まって天安門広場に向うからだ。日の出に合せて国旗を掲げる儀式は警備が厳しい。予約制で細かくチェックされる。改めて書くつもりだ。

 北京の朝よ、いよいよお別れだ。夜の闇が濃い中を足元の大地に呼びかけるように走る。わずかな日数だったが走れたことにより大切な成果を得た。来年の10キロにも繋がるものだ。まだ地下鉄の入口はシャッターが下りていた。東京の天気は良くないらしいが北京は快晴で寒い。(読者に感謝)