人生意気に感ず「日中交流の広さと深さを知る。万里の長城に登り、北京大学を訪ねた」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「日中交流の広さと深さを知る。万里の長城に登り、北京大学を訪ねた」

◇日中合同の日中交流会議で私は井の中の蛙を反省した。群馬県日中友好協会は堂々とした構成で歴史が浅いとはいえ上昇カーブを描き天下に誇れる存在と思い込んでいた。第二次世界大戦の両国の波乱の歴史を耐えて民間交流の道を切り開いた人々の存在を知った。

 遣隋使、遣唐使に関わった人々の姿が想像される。私は今回壇上で「日中両国は長い歴史の中で重要な文化の交流を重ねてきました」と発言した。しかし会議の全体像の中で、また現場の中国で日中交流に関わる群像に接して自分の認識が表面的だったことを知った。この認識に至ったことが今回訪中で得た最大の成果かも知れない。

 第二次世界大戦に敗れ日本は国家の構造と共に西欧化し、国民はアメリカ文化に呑み込まれてきた。広がる中国嫌いの波はこの流れと共に在る。

 今回中国全土で日本との交流を進める人と団体の存在を知った。彼らは賢い。かつての日本の侵略も、アメリカとの対立も、そして原発処理水放出も承知の上で日本に好意を寄せている。

 兵馬俑で名高い西安市の女性朱婧さんは驚くべき流暢さで日本語を語った。その訳を尋ねると長いこと通訳をやっているという。この人は京都や奈良との交流に力を入れていることを熱く語っていた。

 紹興市人民政府の女性潘さんも印象に残る人。笑顔がきれいな美人で、教育のために福井県などと青少年交流を重ねているという。彼女は紹興市は紹興酒の起こりの場所だと誇らしそうに言う。紹興市と紹興酒か、私は成る程と思った。現在、国宝とも言われるこの名酒はほとんど手に入らないと言われる。

 福岡県及び福岡市の日中友好協会事務局長の中村元気氏は次世代、若い世代の活躍に力を入れているとし、そのために小学校を中国に寄贈したと話していた。それぞれの人々の活動は日中友好の私の認識を遥かに超えて大きいことを物語るものであった。

◇8日、短い時間をつくって北京大学を訪ねた。日本の大学と異なり出入りは厳しくチェックされる。汪婉教授の計らいでスムーズに事は運んだ。来年この大学で私の講演が実現する可能性がある。そう思うと胸が鳴った。

◇この日、行事を済ませて万里の長城に登った。5人で挑戦したが第11ポイントまで登ったのは私と黄さんの二人。83歳でここまで登るのは珍しいとのこと。私の人生で最後になるかという思いがあった。多くのアフリカの人々と出会い交歓を深めたのは思わぬ収穫であった。(読者に感謝)