シベリア強制抑留 望郷の叫び 一〇三 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一〇三

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 青柳さんは伐採の仕事が危険で並々ならぬことを初日から味わった。そしてその夜、大変な事実を知らされた。それは、このダガラスナ収容所では、伐採中に木の下敷きになって死ぬ者、貨車に木材を積む時にくずれた木に押し潰されて死ぬ者、また、栄養失調で死ぬ者など、死者が続出し、その欠員を補うために青柳さんたち五十名が回されたということであった。前年、つまり昭和二十年の十月に、五百人の日本人がこの収容所に入り、まだ三ヶ月ほどしかたっていないのに、五十人を超える死者が出たとは、何と恐ろしい所か。青柳さんは絶望感で目の前が真っ暗になった。

〈ソ連では、何でもみなノルマです。ノルマを達成することは容易なことではありません。それができないと食事を減らされるのです。シベリアの収容所では、ノルマには本当に苦しめられました。〉

 青柳さんは、しみじみとノルマについて振り返った。

 ノルマというコトバは、私たちも日頃、無意識に使うことがあるが、これはロシア語で、シベリア抑留者によって日本に伝えられたコトバだという。これは、決められた時間にやらなければならない仕事量のことである。シベリア抑留の中で、日本人を悩ませたこのノルマは、ソ連の社会制度と不可分な制度であった。

 ソ連では、社会主義の建設は労働者の労働にかかっている。そして、労働の成果は労働者の労働意欲にかかっている。この点は、基本的には私たちの資本主義の社会でも同じことであるが、労働意欲を起こさせる要因が大きく異なるともいえる。私たちの社会では、働けばその成果は自分のものになり、より豊かになることができるし、働かなければ収入が減る。事業をやっている者は、努力しなければ倒産ということにもなり大変な憂き目を見ることにもなる。思想の自由、行動の自由が保障された制度の下で、人々は必死で働き、他より少しでも豊かにと競争する。その結果が資本主義社会の繁栄を支えている。だから資本主義の社会では社会全体の生産性を上げるために、労働を義務づける必要はない。

 

つづく